シーズ・オブ・ツイーツ
ツイートのたねという呼び方が気恥ずかしくなってきたので、これでいく!振り向くな後ろを!
セッションというかコラージュ的に、学級新聞みたいにみんなが面白いことをペタペタ好き勝手に貼っていくような会話、生の会話はわからないがLINEではそういう会話が楽しい。
風呂あがって部屋がすごく涼しかったら嬉しいから、全力でそういう家をつくりたい。
デスクライトは、多分夜にしか使わないから暖色のがいいと見せかけて、俺にとってはピカピカの真っ白で凄まじく明るいのがエモい。寝れなくなっちゃってもいい。
ひと通り食ったあともうひとつ、味としては欲しいが量としてはやりすぎだなってものは、60秒やり過ごせばカロリーが体にじんわり行き渡って食べなくても良くなる。これが俺調べの「クーフクマネジメント」です。
まさに今、書くことの恥ずかしさと向き合っている。一年も書いていて考えたくもない、まだそこなのか?でもようやくだ。書けることはわかって、何をどう書けたら俺は嬉しいのか、正直に考えられるようになった。
家にサーキュレーターが置かれるようになってしばらく経ったが、ふと、恋愛サーキュレーターってそういうこと?と思った。
一応曲名あってるか検索したら恋愛サーキュレーションで、ラブライブの曲じゃなくて千石撫子の曲だった。
スノーハレーションに引っ張られたかなと思ったが、だとしたらサーキュレーション
ホットケーキミックスの裏に書いてある、さっくりまぜる、の「さっくり」が好きで、なんでもそういうふうに取り組むと上手くいくような気がする
俺ができるのは俺を甘やかすことだけだから、叩きのめすのは
電車で子どもがまだー?ってなってるときに、こっちはまあこんなもんだからここは我慢するしかない、というのをもう外しちゃって、まだつかないの?もう降りたいんだけど、と子供にガチで相談するくらいにしたら、うまくいきそうな気がする。というか普通に電車も使って気持ちよく移動できそう。
ハック的なことを、ハックとしてではなくガチで俺はそれがいいんだけどな、と思える範疇においてだけそれに取り組む。と無理がない気がする。
子どもに世話をしてもらう、まだー?に対してもうちょいだよ!と勇気づけてもらう、ってのを、ハックとしてではなく、ハック的なやりかただがその場ではガチで取り組む。
改めて、俺はなんで、なにを子どもに教えられると思っているのかを考えたい。それが子供を守りながらやるのが難しいことなのもはたからみているとちょっとわかる。
ハックは、小道具ではなく説明書のようなもので、最終的には手を通じて出力されるものだということ。どころか、口承のものであったりもして、そもそもうろ覚えだったりもする。
映画のハイキューのサントラはごほうびタイムType-Bが好き
新しいこと。
自分史の中で。
やりたくないばっかいっててもつまんない。やりたい飲み会にいけばいい。飲み会だけの友達でなにがいけない。
つくるときは誰でも恭平さんだって1人だ。
小雨だが大粒で、これは厳しい。かなり、だ、と唇を噛む。
まあ、口汚さで遊びたいときはそうすべきなんだけど。ただまあ、熾烈な争いのなかでやってくことにはなる。
俺試着がほんと嫌いでよ。くそめんどくせーだろ、あれ。から始まることだけ思いついたトーク。