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とにかく今は行きたくないのが最重要なのだ

おはようございます、スマホ、2023年8月23日5:38、バイトへ向かう電車の中、茶髪のおじさんのリュックがでかい。なんとかかわして蘇我駅から空いた座席に座る、千葉駅まで。短くても座っておいたほうがいい、考えているよりずっと立ち続けるというのはしんどい、ただ立っているのがしんどい。バイト中はそこまで気にならない、思えばあれは立っているだけではない、あっちこっち歩き回っている、レジに立ち尽くして作業をするときが一番疲れるかもしれない、あるいは裏でひたすらパンを梱包するとき。裏で作業するから気楽に思えるのだが、どうにも僕はあれが苦手らしく、時間なのかなんなのか、何かに迫られている感覚を覚える。なんでなんだろう、と考えてみたら立ちっぱなしだからだということに今なった。上白石萌歌さんは歌を歌うときadieuという名前になるらしい、僕もそういうふうにしたいと思う。歌を歌うときは、絵を描くときは、文章を綴るときは、手で文字を書くときは、飲み会で世界一面白い人間であるときには、大して面白くなりそうもない場面が面白くなったとき、そして、なんだ、結局でも僕は全てを分けて考えることはできない。全部やりたくて、一つに絞れない。一つに絞れないというのはもう体の動きというか、生きているあるタイミングから強いられるようになったこと、ただし僕が望むことを続けていたらそうなっていただけでもある。眠い、4:15にアラームをかけて4:21に起きあがった。4:25には動きださないと準備を慌てて行わねばならないというのがあって、前もってアラームをかけて少しまどろむ時間が欲しいと思いそうした。4:10にかけたいくらいだったのだが、昨日の22:00時点では起きていて、6時間を切るかもしれない睡眠が、という緊張を感じたくなかったので5分延ばした。でもやっぱり眠かった、二度寝をしそうになった、目を閉じたまま焦点が定まるのを待っているだけのつもりが。でもまあ起きた。起きたけども危なかった、目を開けてスマホの画面を照らしたとき幸運にも4:21だったが、体感的にはやっちゃったかもしれない、本当に万に一つだとは思うが、という気がした。でも大丈夫だった、でも眠い。7時からバイトで、4:25に起きる日程が1番早いサイクルだ、サッカーが4:00キックオフというのはまだ今シーズンはない、たぶんあってもアラームはかけないと思う。そうやってみていったら無理がないし、ずっと観続けられると思う。僕はずっとみているのが1番楽しいと思うからそうしたい。2:30だろうが23:00だろうが3:00だろうが、好きなものなら追っかけるだけいいだろ、というのもやってみたことはある、例えば大学2年生くらいまで僕はそうやってTWICEやFCバルセロナ、むしろそれぞれもっと手広くいこう、他のユニットまで手を伸ばそうとしていた。でも飽きてしまった、そのやり方は、続かないと思った、続かないと寂しい、好きだったものを好きではなくなったと錯覚してしまうのが辛いから嫌だった。西千葉に着いた、高校時代の最寄駅。今度バスケ部OBで同窓会をやるらしい。24歳。一年浪人した人も多かったから多分今年から社会に出揃って、フラットに集まれるようになってふと旧友、むしろ昔はあまり喋れるような関係性をあたためることはできなかった人たちの方が会いたくなるんじゃないかと思う。めちゃくちゃ分かる。男子バスケ部は高校生のとき異常にひとかたまりでいた、全部で11人(僕は12人だと思っていたのだが気のせいか)で、でも11人全員でというわけではなかったが。3人は結構物静かな面々で、僕たちが好きな漫画とかゲーム、ごく一部共有できることもあったが、そういうのに果敢にのってくるタイプではなかった。少なくとも当時はそう見ていて、加えてその中に僕らの代のキャプテンがいたが、彼は2年生の頃からレギュラーの座を奪うために必要なことを観察しては実践し、それを繰り返して実際にそれを勝ち取ったくらいバスケットボールに真面目な男である。あまりそういうのができるだけサボりたい多数派とは馴染まなくて、のちに真面目な姿勢を揶揄するような言葉もこっそり飛び交うようになってきて、特に反論もなければのっかるほどの理由もなかったから、僕含めて男子バスケ部はそれをきっかけに8人と3人という構図が目立つようになった。たしか高校3年生で最後に行ったハワイアンズまでは11人全員で行った、もともとその頃から学校行事でないのなら話が速いスピードで合うような8人だけで行った方が楽しいのではないかと僕は思っていて、全体的にそういう空気も流れていた記憶があるが、やっぱり3年間の部活動を締めくくるという意味もあるし、あと保護者からのなんとなくのみんな誘わないと、という圧力もあったりして、みんなで行った。旅先での過ごし方がその後の命運を分けたような気がする。案の定8人と3人で話したいことや楽しみたいことは違って、3部屋くらい部屋は取られていたが結局8人が遅くまで起きていて、3人は別の部屋で早く寝ていた気がする。寝る時には3部屋に確か戻った。僕は夜通し何かをするのが苦手だから、8人の中でも早く寝たい人たちの部屋に入ってすぐ寝た。もう一部屋はあるべき楽しみ方の主流というか、オールナイトで大富豪をしていたらしい、朝その様子を振り返って聞いたときは、僕も参加すればよかったなと後悔するくらい楽しそうだった。同時にその空間にいられなかったのはなんというか出遅れた感じがして、うまく言葉にできないが不安になったのを覚えている。そういえば寝る前にもトランプを8人でしていて、あれでもお酒を飲んでいた気がするから高校3年生じゃないな、ハワイアンズは2回行ったんだっけ、ここにきて記憶が混濁していたとわかる。まあいい、今喋りたいことがあるんだ続けるとして、なんかやっぱりというべきか、飲ませる雰囲気みたいなものがガンガンに出ている大富豪だかUNOだかババ抜きで、僕もお酒をたくさん飲むのはとても好きなので乗り気だったが、あまり得意ではない人も2人いた。そのうち1人は飲ませる雰囲気自体を嫌っていて、今はというか大学2年生だか3年生のときに2人で金沢旅行にいったときはむしろすすんで飲んでいたから、たぶんヤな大学生像というか、それやっときゃいいというか、そういう時期あったよねとあとから典型的な振り返り話に付き合えるようにやっているような過ごし方が嫌いだったのだろう、現にサシで飲むときは楽しそうだったし、そこでどんな仕事をしたいだとか、昔は実はこうなりたいと夢見ていた、という話もしてくれた。当時の僕はその話をしてくれた喜び方を、あまり自分の話をせずツンとしている奴が、俺には心を開いてくれるという形でしかできなかった。8人でトランプゲームをしていたとき、あまり飲みたくない人は一律ではなくて少し量を下げて飲むようにしようと提案した。その時の真意はあまり覚えていない、そちらの方が淀みなく楽しめるような気がしたからそう言ったんだったか。ツンとしていた奴はその時トイレにいっていたが言葉は耳に入っていたようで、帰ってきたときに少しおどけながらいいこと言うじゃん、と言ってくれた。思えば思うほどあそこから彼は僕に多少の信頼を置いてくれていたのかもしれない、そして僕はその言葉が嬉しかったので今も覚えていて、それもあってか場の空気を個人を観察するレベルで考えるということに楽しさを覚えるようになった。そうすると自然に友達が増えて、しかもそれぞれサシ飲みで、ここでしか盛り上がらないような話ができる関係性が築けるとわかった。でもそれがわかってからも、それに対しての喜び方は変わらなかった。俺はみんなとサシ飲みできる、とちょっとだけ威張れるというだけだった。そしてそれは誘われたら果敢に全てと言っていいくらい参加していた、どんな人たちの集いにも、なんとなく友達が増えた方が充実感があるのかなと思って足を繁くいろんなところへ運んでいた。これが未だにちょこちょこ友人たちからちょっと遊びにいくけどどう、と誘いをもらえる大きな要因だと思っていて、その貯金にまだゆとりはありそうだと感じているから、なんとなく平気で断ったりもできる。今度、高校生のときはあまり友達として親しく話す、ということのできなかった女子バスケ部も交えて同窓会をやるようだ。僕は断ろうと思っている。いろいろ理由を考えた、建前から本当はなぜ行きたくないのかから。まだ分かっていないのだが正直、一応まだ今やっていることも目に見えて分かるような形にできていないし、例えば今書いているこれで言えば本だったり、それがなければ前やっていたYouTubeをある程度の規模にしておきたかったということだが、それは生理的にすぐには不可能なのでこれからに目を向けると、やっていることが絶対的に少ないから、何をしているのか聞かれて答えられることがない。それが恥ずかしいのだと思う、恥ずかしいという言葉はあまり使いたくないし、もっと違う言葉で言えるということもせっかく毎日長々書いてるんだからここで示したかったんだけれども、どうやら僕は今恥ずかしがっている、皆から話をふられてるのを怖がっている、ビビっているというのがひとまずの結論でいいらしい。だから行きたくない、もっと創作の量を重ねて、味方を増やしてから、という展望に欠陥はたくさんありそうだが、このへんはまあ建前の理由づけみたいなものなので後に回して、とにかく今は行きたくないことが最重要なのだ、もっとも僕の弱い部分であり僕しか守ってやることができない部分なのは間違いない。行ったら何かが良くなるのもまた間違いない、昨日は、昔雑談の中で誰かが発した何気ない言葉に、音だけ近いことを無意味に発すると絶対に面白くなってしまう身内ウケの空間に思いを馳せ、もしかしたら本当は行きたいのかも、行ったら楽しいしなと思ったし、あるいはビビってる、恥ずかしがっているという言葉選びだけ見ればそんなことはしているだけ無駄で、会ってみて確かめればいいじゃないかときっとなるが、なんとなくその二つ、僕があえてその言葉を選んでいることと行動ファースト、みたいなどこから膨らんできて正しいということになっているのかわからないそれらしい言葉は違うレイヤーの上を走っているような気がして、だから別個の話としてとりあえず行きたくないというパッションだけを見ることにした。どうやら男子はなんと、さきほどの8人のうちこないのは僕だけらしく、女子も高校卒業を境にあまり一緒にいることのなくなった人たちくらいらしい、こないのは。行かないことは決まっていて、参加する人それぞれ1人ずつと話したいことも多分あって、せめてそう思っていることは伝えたいからこれを皆に見せようか迷っている、恥ずかしいがいつかは見てもらうことだから、という考え方が今適当かわからない。

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