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小説⑨大崩れの跡の整頓/モンクレールみたいな

おはようございます!パソコンを開いてから書き始めるまでやたらと時間がかかった。が書き始める。今日は休み。明日も休み。今は幸せである。いつでも書いていいし、いつでも寝ていい割には遅くまで寝てしまったけどまあ昨日は遅かったからね。本も読みたい。久しぶりに野生のアイリスをぺらっと2ページ読んだ。なんの感慨も呼び起こされる感じはないが、そのぶん心の動きを観察するのに集中できる気がして、たとえば毎晩家にいれば僕がやっているばあちゃんの仏壇のご飯、水を替えるのとちーんとならして手を合わせること。あれと似ている。その時僕は何も考えていない、何も思おうとしていない。しかし心は動く。そう言う時に動くのかもしれないし、そういうときにしか、自分の心であっても、実際に揺れ動いているかどうか、見えやしないのかもしれない。

防寒対策バッチリ。書いていきます。時刻は9:28、以前書いた10年後のスケジュールからするとあと2分である程度の量は書いておきたいのですが、書き始めが1時間以上遅れてしまったので、10時半まで予定されている休憩に食い込ませていこうと思います。元々僕にまとまった休憩なんて入りませんから。休憩とか言いつつ書いてた方が体が休まるなんてこともよくある話。ただ、休憩って書いとくといいんですよね、字面がね。あそび、とか余白、だと困っちゃうじゃないですか、そんなこと言われても、9時半までに書き終わっちゃったらじゃあやりたいこと探さないと、この時間を有意義なもので埋めないと、ってなっちゃうから。だから休憩でいいんです。もうその時間はやりすごせればよい、それがノルマ。生きてりゃそれでいい、9時半から10時半である。何をして過ごすことが多かったかな、高校生の時なんかは。なんかやっぱり、一旦休憩をしていた気がしなくもない。朝イチで、あ、高校生のとき、というか人生でもっとも居心地の良かった時間といえば僕にとっては大学受験期で、とくに一日中予備校にいる時だったのだが、まあそれも学校っていう息抜きに強制参加させられていたからバランスが取れていたのかもしれないし、学校が息抜きだと感じられていたのは相当ラッキーだったんだと思うが、まあとりあえず、朝イチ8時にたしか予備校が開くから、まず英単語帳を開く。1時間いかないくらいはそれを見ていたかな。いや、もっと短いかな。9時前からは、夏休みの時期は数学の学校で配られるような分厚い参考書、僕の高校だとフォーカスゴールドとかいうかっこいいやつだったが、それをコツコツ進めていた。ほんとに暗記科目だと思った。数学も。その上で、テストで知ってることを組み直す作業、そのわりには友達とああだこうだ問題を振り返るときはかっこいい言葉を使うことができる、空間ベクトル、ここで積分がどう。あれはお得だった。

もう10時だ、まあこのまま書いてりゃ折り返しくらいには達せるだろう。昨日はバイト先の忘年会だった。退勤してから会が始まるまで2時間あったので、最初の30分はその場でスタッフドリンクでも飲みながら、もう30分は隣の駅まで電車に乗らず歩いて行けば潰せそうだったので、のこり1時間の過ごし方を考える必要があった。まあ、せっかくカフェで働いているんだし平日で席もガラガラだから居座っときゃいいのだが、なんとなくとりあえず外に出たくなった。冒険がしたかった。ので、昨日波息

とか書いてたら右側で地殻変動でも起こったかのように本たちがうごめき歪み始めて、一気に崩れ落ちた。2割くらいが既に崩れて机の下に落ちたタイミングで、残る本をなんとか抑えた。そんな、ここに刺激なんかくわえたっけ、随分急だな、とは言いつつも、急に大きな刺激が加わるから物が崩れ去るわけでないのもたしかだ、とりあえず落ちていない本はまっすぐ立て直し、落ちた本は拾う。ダイソーのペラいブックエンドでは耐えきれないところまで来ていたのもあるし、そもそもブックエンド自体縦に置いた本の上に何冊も重たい本を載せることを想定して作られてはいない。思い返すほど不安定な状態であった。そういえばデスクの真下に引き出しがあって、一応妹が昔使っていた教材なんかが入っているがそれでもスカスカだ。ここを軽く整理して、大判の本はこちらに保管しておくことにした。すると、まさに本を入れようとしていたその部屋に、今使っているものより頑丈そうなあおいブックエンドが置いてある。引き出しの真ん中には薄いが仕切りの板が設置されているので、多分補強というわけではなくピッタリ形がハマるからそこにおいてあるだけだ。使わせてもらおう。ということでカーテン側にあまり寄せると埃を被りやすいし毎度カーテンにかかったりかからなかったりして気になるので少し手前に本を寄せて、こちら側もあまりギリギリだともちろん怖いので、うまいことしたの引き出しを使って卓上の本の量を減らす。ついでに本棚の脇に2列構成くらいで平積みされていたスケッチブックやメモ帳、図書館で借りた本なんかもすこしおく場所を調整した。スケッチブック類は下、図書館で借りた本とか坂口恭平の発光とかはパッと読めるようにしたいのでそのまま平積みしておく。というか作業する場所を変えるたびに一緒に移動することも多い。ついでにちょっと本棚のラインナップも変えてみる。野生のアイリスと聞くこと、話すこと。を端っこに加え、スタジオジブリ物語は背表紙も可愛いのでブックカバーを外し、もう捨てちゃおうかと思ったがもう一つ折って引き出しに保管しておく。カバーつけて読みたい時とどうしてもつけないで表紙の質感と匂いをモロに感じながら読みたい時がある。外してその辺においては、ゴミ同然になるのを繰り返して悩んでいた。そうか、ざっくりだが丁重に保管しておけば新しく頑丈なブックカバーなんて買わなくていい。文庫版をたくさん読む人ならまだしも、僕は形態にほとんどこだわりがない、というかいろんな形の本を読みたいという意味では多少のこだわりがある。せっかくだから写真も撮っておく。大崩れの跡の整頓。

15:06、昼飯を食い、読書、壮大な昼寝を経て今に至る。昨日までなかなかとれなかった、うなじの左の方のコリというか寝違えた痛みのようなものがほとんどなくなった。今朝の寝覚めは、僕が前日結構な量のお酒を飲んでしまった時にありがちな一発目は3、4時間寝たら目が覚めてしまう、今回でいえば2時前に就寝して6時にはぱっちり目が覚めた。昨日は起きたのが4時前でそのまま過ごしちゃったし、今日もそんな感じなのかなとTwitterを眺めていたら眠くなったので再び目を閉じた。まるっきり、ついさっきの昼寝への入り方と同じようだった。昼寝の方はTwitterではなく今メインで読み進めている山下すみとのFICTIONを読んでからだったが。そして澄人を打てなかったのもそうだが、変換のときの言葉の区切り方がランダムすぎないか、一応空気を読んだ結果なのだろうが、これの調整の仕方を知りたい。けどうまく見当たらなかったから、まあここでは変換なんて適当でいいかということになった。書籍になるときに直そう、直さなくてもいいけど。しかしまだ、左肩から背中にかけて、心臓の裏にあたるだろうか、そのあたりは凝っている。お酒を飲んだり外食が多かったりすることのかさむ日程をすごしているときそうなりやすい気がする。バイトにガンガン入っていても、そのときは体力的に、鼻のむずむずだったりそれに伴う息苦しさだったり、そういう外に出て深呼吸をいくつかしたり、熱いと感じる原因となっているものを逐一取り除けば消えるような苦しさしかない。やはりよく眠れないと、生活のペースが乱れると、というか僕の場合は睡眠と、時点で食事なのかな、これらをとる時間がアップダウンを繰り返すと、背中を中心に凝りが広がる。背中の作り上仕方のない部分もあると、中学生の頃めちゃくちゃ背中が痛くなって、でもスラムダンクを読んでいたあたりだったから花道と同じになったような感じで必要以上に痛がっていた記憶はないでもないが、整形外科かな、そこで言われたことがある。背骨がまっすぐすぎるといわれたんだけど、たしかスパイラルしてる形になってるとも言われたんだけど、どういう形?二つは両立するのか?あるいは片方は一般的にはこうだけど、という話なのか?本来背骨というのは微妙に曲がっていて、という話は聞いたと思うから、真っ直ぐすぎるのはそうだったはずなんだよな。でも心配するカズマに伝えたら背骨が、背骨がスパイラル!スパイラぉ!とツボにハマっていたのもまた覚えているからな。そのときスパイラルというのは僕の背中の状態を指すものではなく前置きだったんだけど、音だけで面白い言葉を見つけて本題の前に彼が笑っちゃった情景のがたまたま印象に残っているだけかもしれない。これから図書館に本を返してくる。1日遅れてしまった、なるべく直接返したい。この前も一度返し忘れて、というかここで返せないとあと2日は図書館には寄れないというタイミングで持って行き忘れて、事前に苦渋をなめたあの日は、電話をかけて、図書館のカード番号やらなんやらを一応伝えた。その前も一度あったな、そのときは3日ほど遅れていたはずだが、あ、全然大丈夫ですよ、ていうか連絡ありがとうございます、みたいに言われた。その頭で2度目に電話をしたら案外情報の照らし合わせ作業が伴ったので戸惑ったのだった。そういう電話は昨日もした。躁鬱が不安定というか、ある意味体調はもっとも落ち着いている状態、そうでも鬱でもない、なにをしなくても、1日生きることができれば幸福を感じることが今できるのだが、バイト先の忘年会と連戦になってしまうこともあり、また来月やや大きめのお出かけイベントを控えているメンバーと、せっかくだから年内にも東京組で、ということで企画された忘年会だったのだが、丁重にお断りさせてもらった。昨日、飲み会の開始を前に公園で時間を潰している時にそれを決めた。ヴェルヴェットアンダーグラウンドを初めて聴いてみていた。いまはFICTIONでなく躁鬱大学だな、と直感し、躁鬱大学の躁でも鬱でもないあなたへ、を読んでいるときにはもうアルバムは終わって、たまたまビートルズが流れていたような気もする。舐達麻のバッドホップイズデッドはもちろん聴いたし、店長やサルタくんにおすすめもした。その感じで聞くのね、と言われて何か返事をした記憶がない。お酒を飲んでいたからというのもあるが、返事は言葉にしなくてもよかった。へへへ、みたいな感じで場が流れた。それでよかった。どら焼き食べる。

うまい。塩バターが入っている、畑田本舗のやつらしい。畑田本舗はもしやと思い最後まで打ってから変換をかけたら一発で出てきた。母が買ってきたのだろうか、あるいはインスタグラムで行うPR活動みたいなものを趣味にしているから、その一環でもらってきたのかもしれない。痛風の気が出てきたらしい。多分もう半年もしたらなると思う。まずどら焼きが6個くらい入っていたであろう箱、一つ誰かが食べて5個になっていた、目を惹かれる。どら焼きは大好きだ。スーパーに売っているスイーツ、モンクレールみたいな名前のメーカーのお菓子は、偉そうに言わせてもらうと何を食べてもひとつ足りないような感覚が目立つのだが、生クリームの入ったどら焼き、あれは一味違う。ずっとこれだけは推していたというわけでもなく、このまえ初めて食べたわけでもないのにその感想が急に言葉になって僕の頭に登場した。それ以来は当然そういうものだということになっている。モンテールだ。モンクレール お菓子で検索したらまずモンサンクレールがでてきて、こんな長かったかな、でもこれっぽいなと調べると、いや調べるまでもなく次に出たページで違うとわかった。どっかのお店だ、ちょっと高級志向の。シュトーレンがどうとも書いてあった。お菓子屋さんだ。一応チェックしておく、といってもここに書いたのをそういうことにするというだけだが。モンテール、モンテールのどら焼き美味しいよ。モンテール安いからしかも。コンビニスイーツはクオリティ重視で、ケーキ屋さんの値段に達さなければいいやとぐいぐいその値を上げているが、モンテールは変わってない、たぶん。150円しないんじゃないのかな。もちろんスーパーで買うなら90円くらいのどら焼き買った方が安いんだけど、パンコーナーの近くにあるような、ヤマザキ(あれはヤマザキ製パンとはちがうんだよねきっと)の串団子と同じ場所にあるような。さ、3:54。今日も書き終える。4000字からの5000字はやはり異常に気が楽だ、何の苦もなく書くことができる。3000から4000も早いが、序盤はちょっと苦しいからね。いまだに僕のなかにあるノルマは、口で言っていること、手で書いていることと異なって4000字なのだと思う。多分死ぬまでずっとそう。厚い信頼がそこにはある。村上春樹、坂口恭平、歴史の中に僕は身を置いて、それから体に合う方へと、寄り道をする。まあその場所自体、気の向くままに流れ着いた先にも思えるんだけど、案外そうではないのかもしれないと考えてみている。暗すぎて、照らし方がわからなくて見えていなかっただけで、僕はずっとそこにいた。最後は孤独だが、最後まで孤独ではない。あのヤマザキがヤマザキ製パンと関係するのかしないのか。これらは両立する。シュレディンガーの猫、最近流行り始めて、というか僕が知ってから初めて、僕の元へ流れてくるツイートやらがその波にのているだけなのかもしれない。それはほんと、どっちでもいいことである。

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