鬼の連ツイログ:好きなマンガのこと
話の筋が気になるのではないのに読ませてしまう、この「人」がどうなるのか(ちゃんと救われるのか)が気になって読んでしまう
もう展開が全部、ただ上から降り注いでいる
それでいいとかそんなことも一回読んだだけじゃ考えの及ばない
型への執着がないのにアツい
が僕の考える漫画の最前線。
はいはいこういう黄金パターンね、みたいな読み方の方によくどうなのと僕は思っていたが、それも結局、ある程度そう描かれてるからそう読めるのであって、そう読ませないようにと書いてもやっぱりそこまで読めてしまうのだ。きっと。不思議な気もするけど。
こういうことを語るには僕はあまりに漫画が描かれ始めたときのことを知らないんだけど、まあ直感でメモっとくと、読者に話の筋を意識させてるようじゃ最前線の面白さとは言えないと思う。どうしようもないくらい人が気にならないと。
小学生のとき読まなくなった漫画って、やっぱり主人公だとか近しい人の喋り方とかが気に入らないんだよな。あるいはその世界にあって不自然だと思えてしまう。そういうのをもっとあのときは直感的に捉えて、面白い面白くないを考えてた。
読まなくなってないな、ジャンプのは全部最後まで読んでた。売りたいからこれで勝負、って作られた漫画なんだとしても煮えたぎるその人らしさは世界観に現れていたから、どの漫画も心から面白いと思って読んでいた。あ、あんまりかな、っていうのはあったけど。
そんで連載が終わると、好きだったのにー!って悲しむこともあったけど、基本的に気持ちよさを感じていた。ちゃんとみんな閉じてくれるんだもん、あれは嬉しい。最終回、特に打ち切りのときに作家性がよく出るから、そこをまじまじと見て楽しむというのはやってたな。
マンガのことは、偉そうに喋ることを意識して語ってみよう。
ここまでを踏まえた上でもないけど、これ面白さ降り注いでんな、気づいたら包囲されててその世界の空気吸ってんなって思った漫画は、「ダイヤモンドの功罪」「カグラバチ」です。
あ、あと全部「あえて深く読もうとした場合」のことを考慮せずに喋ってるので、そういう読み方が大好きで身に染み着いちゃってんだよってフォロワーはどうか聞き流しておくれ。これこそ誰が言うとんねんって話なんだけども。
どういう漫画が好きかってのをよーく考えて語る、結果アツい話になる、って流れはほんとに気持ちがいい。最高^_^
以下アディショナルタイムなんですけど、僕は「言語化」「ワードセンス」って二つの言葉周りで違和感を覚えることが多くて、というのもこの二つってそれ自体を磨こうとして磨けるものではなく、もっと言えばそれだけを切り取って褒めること自体に無理があるんじゃないかと思うからなんです。
二つとも言っちゃえば、その人がすごいんですよ。その人のそういう能力が凄いんじゃない。現に、僕はこの人気に入らないけど「言語化能力」だけは凄いな、「ワードセンス」は凄いな、って思うことはありません。俺の気にいる、というと偉そうでもありますが、俺の痒いところにちょうど届く、タイミングよく届いたそういう言葉、を言う、俺にとっての恩人が今日も喋っている、ってそれだけなんです。言葉そのものも凄いんです。でも今日のは凄いな、なんです。これは盲目的に何かを信じるのとは違うと思います。
あと「言葉」ね。言葉周りも気になる。スケールが一気に広すぎるとこまでいっている気もするが。この言葉にあるとき人生左右されました!とかこの言葉がずっと心の支えになってます、とか、そんなことある?それも人とタイミングと語り口と、全部合わさって凄かったんだと思います。だからついでに文句言うと、Twitterでカギカッコに入ってバズってる名言は全部嘘です。そんなのに意味はありません。名言自分で繰り返してみて場で受けて楽しいねって、口での会話でやることやんな。それなら分かる。そういう楽しみ方あるよね、超楽しいよね。
じゃあ俺がみてるのは「人」なのかというと、ざっくりいうとそう。だけどもちょっと違うんだろう。世界だよな。その人周りの、というか俺と彼の周りの世界のことを見ている。こういうときに彼女って言葉がなんかにきいつかってでも出せないのは、昔っから恋愛って恋愛を通ってきてないからなのかな。まあ俺にとっては超恋愛なんだけど。ふられるまでもなく終わった俺の数多のビビりの日々。せめてふられろよ、っていうのもあった。申し訳ないなーで終わる恋があるかっていうね。キレて終われよ、そういうのは無理なんかね。全部当時から、悲しいけど、あざした、って感じで終わってる気がする。じんわりと、忘れた頃に終わっている。