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なずなのプロフィール

初めまして、なずなといいます。

自己紹介

まずはさっくり。

40代女です。人生色々あるけど、にこにこゆるゆると等身大の自分でいたいと思っています。元看護師。保育士免許も持っています。夫と息子の3人暮らし。息子は発達障害グレーゾーンで、療育に通っています。好きなことは手芸とか何か作ること、楽器を弾くこと。一人が好き。何日でも家にいられる。
息子が小学生になったら、働かないとと思っていましたが、Twitterで両学長さんを知り、外で働くより家で何か出来ないか模索中です。

大体こんな感じですが、なぜ看護師、保育士の免許を持っているのに家で働きたいのかと疑問を持たれることが多いです。

なぜ家で働きたいのか

私はもともと一人が好きで、たくさんの人の中で働く仕事は向いてなかったんだと思います。苦手な仕事でも続ければ出来るようになるとか言われて頑張って鬱になって動けなくなった過去があります。
自分の得意なこと、苦手なことを良く考えて、仕事でも家庭内の些細なことでも、自分で意志を決定していくことがとても大切だと40過ぎた今、やっと分かってきました。私が悩んできたような悩みを抱えている方に届いて寄り添えたら、また、これから何か始めようとか、職業を選ぶにあたって私のような失敗をして鬱などつらい状況にならないために、つらい状況にいる方のために、少しでもお役に立てたら、と思ってネット上で発信していこうと決めました。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

もっと詳しく知りたい方、続きもどうぞ。私の生い立ちなど書いていたら、やたら長くなってしまったのですが、こんな私です。


私の生い立ち


0歳:北関東の田舎に産まれる

幼少期:人見知り強く、大人しいと言われる。4歳差で産まれた妹のほうが強いなと子ども心に思う。


小~中学校:弟も産まれ、3人兄弟の長女、「お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい」系のことを毎日言われるのが嫌だった。

ピアノや習字、スイミング、そろばんなどを習わされる。自分からやりたいといったものはない。どれもそんなに長続きせず。

習うこと、出来ないことが出来るようになることは好きだった。ピアノは先生が怖いのと、練習が嫌だったが、教室を辞めてから、自由に弾くのが楽しくて、中学生になってまた習わせてもらうが、またすぐ辞めてしまう。

この頃から読書や工作や手芸が好き。祖母に編み物を習ったり、クロスステッチなどの刺繍やビーズなど色々作る。

何になりたい?と言われても何も思い付かない。しいていえば、アンデルセンの童話の白鳥の王子のお姫様みたいに、ずっとセーターを編んでたいとか思っていた。友達に看護師になりたいという子がいたのと、親や周りの大人も勧めるので看護師になろうと思う。

〔今思えば、コミュ障、引きこもり最高っていう自分、この頃から分かっていたはずで、看護師の職業柄、人と会話したくないとか、一人でやりたいとかあり得ない職業なのにちゃんと考えて職業選択しようよ自分!40歳過ぎてやっとこのことに気づいたの、どんだけ~(古っ!わかる?)〕

高校~就職まで:必死に勉強。勉強するのはどちらかといえば好きだったので、それなりに順調に高校、大学(一人暮らし)へ行き、資格を取る。就職にあたって、いくつもの病院の就職試験で落ちる。面接で壊滅的に話せない。「そんなんじゃ、社会人としてやっていけないよ」と言われつつも何故か採用された大学病院に就職。

就職~3年:働きだしてから、向いていない仕事だと感じる。全然楽しくない。加えて業務が忙し過ぎ、鬱になる。眠れないし食べられなくて、フラフラ、生きているのが辛かった。それでも3年薬を飲みながら我慢して働いて退職。


アルバイト時代:実家に帰って、看護の仕事を離れたら鬱は徐々に良くなった。それから工場の流れ作業や天然石ショップのアルバイトなど、看護と関係ない仕事をしていたが、親に干渉されるのが嫌で、また一人暮らし。お金のために、小さなクリニックでパート看護師として働く。仕事は嫌だったが、一応普通に?働けた(笑)

この頃、色々な趣味を次々としてみる。

編み物、刺繍、手織り、草木染め、ビーズや天然石でアクセサリー作り、洋裁、和裁、篠笛、三線、二胡、お菓子作り、着付け、洋服のリフォーム、ベビーシッターの通信教育をうけたり。ハンドメイド品の販売をネットで少しするが、上手くいかなかった。

結婚:一人では生きて行けない、自分の子どもに会ってみたいとずっと思っていて、でも出会いもなく、決死の思いで結婚相談所に登録。なんとかんとか(この辺の話もいつか話す?)夫と出会い結婚。

結婚後:流産を繰り返し、不育症と診断される。9年で計4回の流産。検査をしても原因不明。諦めた頃、息子を授かり無事出産。

結婚してから子どもが生まれるまでの間、少しデイサービスで看護師として働くが、不育症のための通院と、夫の意向(あとで書けたら書く?)で退職。看護の仕事はもう出来ないなと思い、それじゃ保育士になろうかなと思い、通信教育で勉強を始める。3年で合格。

〔ここで何故保育士を選ぶんだ!?と今なら突っ込める(^-^;)コミュ力無いのにまたコミュ力必要な仕事を選んで!一応私なりに考えてはいたんだけど...この辺またあとで書けたら書きます〕

里帰り出産しましたが、実父母と色々いざこざしまして大変でした(T_T)親に感謝はしているけど、考え方など合わなくて、顔を合わせる度、口ゲンカしてしまいます。

息子誕生~:すごく泣く子。短時間ずつしか寝ない。何か変だと思っていたが、一歳半健診までは問題なしと言われた。でもとにかく毎日大変。

2歳くらいで夫の転勤で関西へ引っ越し。引っ越してきたこちらのほうが街なか、都会。子育て広場や相談の窓口が充実している。でも知り合いもいないし、方向音痴で出掛けるのもなかなかできなくて孤立感を感じていた。

3歳半の健診で発達の相談を受けてみませんか、と勧められる。やっぱり!と言う思いが強かった。検査の結果は、当てはまるところもあるし当てはまらないところもあるしで、広汎性発達障害の傾向があるとしか言えない、つまり発達障害グレーゾーン。

幼稚園に入るまではどこにも預けられず、自分の時間なんてほとんどない状態。とりあえず、自分が健康でやってこられて良かったけど、もっと他に頼れる手段を持っていないと、何かあったとき破綻していたと思う。

年少夏から療育に通う。療育は遊びの延長のような感じで指導してくれるので、息子は遊び場が増えた♪くらいに思っているようで楽しく通えていて良かった。私も療育の先生方が、とても親身に細かい相談も一緒に考えてアドバイスをくれるので、すごく嬉しい。

現在:そんなこんなで息子、年長になって、もうすぐ小学生!

息子が小学校に入ったら何か仕事しなきゃと思っていた。息子の将来の学費とか自分たちの老後のお金とか不安だから。でも、資格だけ取った保育士として、初めて働くか?看護師としては働きたくないし、どうしようと考えていたところに、両学長さんを知って、ネットを使って私にも何か出来る?と模索しだした←今ここ。

両学長さんのツイートより↓


好きなこと、得意なことをしていけたらいいなと思う。家にいて、手芸をしたり、楽器を弾いたり、本を読んだり、日記を書いたり、そういうゆったりした時間が幸せ。

紆余曲折しながら今までなんとかやってきたから、少しは辛い局面のやり過ごし方や乗り越え方が身についたと思います。

等身大の自分で、今出来ることで、誰かの役に立てるよう、つらい方に寄り添うことが出来るよう、これからネットを使って挑戦していきます。よろしくお願いします。

何かあれば、コメントなど気軽にくださいね!

ここまでお読みいただき本当にありがとうございました^^


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