パラレルコレクション幽谷霧子のカード名が【漢・字・四・字】でないという確信。
ノクチル過激派リアルおむすび恐竜です。
「全ての担当に擬態する」
をモットーに活動していますが、
どうにもいろんな担当の色に染まるほどに、自身が霧子担当である自覚と自信がなくなってきている次第です。
実際霧子担当だと思われてなさそう()
というわけで、お前他の担当ばっか追ってて本命の理解追いついてるのかよ?と思われないために1つ思想と考察の集大成を使った予言をしようかなと思い立ちました。
それが、
「霧子のパラコレのタイトルが漢字四字でないという予言」
です。
よーし納得させるぞー…
そもそも幽谷霧子って?
さて、予言と題し挑戦的なタイトルを構えてみたものの、決して突拍子もない思いつきなどではないのでご安心ください…。
まずはそもそも霧子をよく知らないよ、って人でもついてこられるように説明します。
幽谷霧子といえば、一部の例外を除いてそのカード名が謎の漢字の組み合わせから成る四字熟語である事は広く知られていることと思います。
泥濘鳴鳴とか廻廻奇譚とか(違)
そうなの?(八雲なみ)ってひとはお手持ちの霧子のカードをどれかしら確認してみてください。
【○・○・○・○】
という枠組みにヘンテコな漢字が四つ並んでいると思います。
え?【かぜかんむりのこどもたち】?
偶然最初に見たのがそれならもう運命なのであなたも霧子担当です。ようこそ。
「コンファーム・トゥ・ランド?」
こほん、冗談はさておき
この一貫性は一種のアイデンティティともなっているため、グッズ化などにも活かされていたりします。
ここまで盤石な統一感を披露した上で、パラコレにおいてこの法則が覆ると主張する以上、まずはこのカード名自体の法則を紐解く必要がありますね。
わぁ…!本題!
順を追って説明しましょう。
長くないよ!(長い)
幽谷霧子の入出力
霧子の口調は、「……」を多用したり、文末を濁すような表現によって主張力の弱さを感じさせるものであることがほとんどです。
これに関しては例はいらない程に浸透している事実と思います。
霧子はスペックに反して自分に自信のない存在であり、そのビジュアルと口調が相まって、どこか神秘的で儚い印象を受けます。作中の人物や我々はそこに美しさを感じるわけですね。
我らがプロデューサーからは、「言葉にしようとすると雪のようにとけてしまいそう」(意訳)、と遠回しな直喩にて評されています。もう妖精か何かですね。
ですが当然今回説明する中で大事になってくるのは、
ルックスの方ではなく、
口調、になります。
霧子の自信のない口調。断定しない言い回し。語尾が消えゆくような表現。そして決して自己主張を強く行わない点。
リリース初期はこのような振る舞いから、劣悪な家庭環境で育てられたのでは??と疑ったものです。
包帯巻いてるし…
ところが疑念は【数・数・娘・娘】やSTEP編にて完全に払拭されました。
むしろ霧子は愛されていたのです。よかった。本当によかった……
私も愛してるよ。
霧子の発言における大きな特徴としてもう一つ挙げたいのが、その不思議な世界観です。
詩的とも少し違った抽象的で幻想的な言葉選び。
作中内外問わず、誰もが一度は真意に首を捻ったことがあるのではないでしょうか。
(「プロデューサーさんは…えびさんですから…」は言ってないですからね!!)
実装後より、我々やプロデューサーは、霧子の持つ世界観をどうにかして理解できないかと、幽谷霧子という存在にひたすら向き合うことになります。
そして作品の中でもこの世界観の独特さに、能動的に注目した存在がいました。
同じユニットである、三峰結華です。
三峰はその表現、世界観が生み出される前段階である
インプットに差異があるのではと考えました。
なるほどこの着眼点はいい線かもしれません。
幽谷霧子のインプット
霧子は自身が物語性を感じたものに対し「さん付け」を行い、まるで意思を持つ存在かのように接します。
(だからえびさんは違うんだよ…!)
(↑ソースです。コロッケにかけるのは醤油)
これらの認識により、
霧子は植物と対話できる心優しい子、などと称される事が多々あり、二次創作物においてやたらと不思議ムーブをしたり、やみくもにさん付けを行う描写が見られたりします。
公式内のファンの中にもそういった認識を持つ人がいます。
では本当に霧子は無生物と対話できるのでしょうか。
これについては実は本人が明確に否定しています。
そう、そんな気がする、だけ、なんです。
じゃあ霧子は何故わかっていながら植物らと対話を図るのか。
ここには霧子の対人関係への苦手意識や、植物らへの大きな親愛が関わっています。
霧子は他の人に話せない事、うまく言葉にできない気持ちを、心を許した植物らに話す事で、自身の心と向き合います。
花たちは話をしない≠花たちに話をする
という事ですね。
そして物語が進む中で、霧子の対話相手として次第にプロデューサーやアンティーカのメンバーたちがその役割を担えるようになってくる事で、霧子は少しずつ成長してきたわけです。(それでもGRAD編の画像のように、成長した今でも真に行き詰まったとき一番相談しやすい相手は、やはり植物らだと言えるでしょう)
少し話は逸れますが、
幽谷霧子のこの名言だけは知っているという人もいるのではないでしょうか。
逆に霧子のそれまでをある程度把握していた人は初見時大きな衝撃を受けたのではないかと思います。
そう、これまで幾度も意思なきものに物語性を見出し、半ば「勝手に」物語を紡いできた霧子が
生きてる事は物語ではないと言ってのけたわけです。
一見これらは矛盾を孕んでいるようにさえ見えますね。
しかしこれは逆説ではあっても二律背反ではありません。どうぞアンチノミー♪
むしろ「生きているだけでは物語となり得ない」という前提が価値観として土台作られた上で見る、
「物語性を見出す」、という行為がこれまで以上に大きな意味を持ち、霧子がその実どれだけの情動を持って「さん付け」を行っているかが色濃く縁取られると言えないでしょうか。
そしてその中で特に霧子が大切にしている自然の存在として挙げておきたいのが、「雪」です。
このように、霧子は自然の存在に対しそれを擬人化のような視点で見ることで数多の苦難を感じ取り、それでも不変に、勇敢に立ち向かう様に、大きな敬愛と親愛を抱くのです。
それに対して、プロデューサーは都度、
「それは霧子も同じなんだよ」と伝えようとしますが、霧子はその尊さを自分に投影する事ができません。
自己肯定感の低さと、実際の待ち合わせた才覚のギャップ。この辺りはGRAD編などの大きな命題となってきます。
【雪・月・風・花】
各アイドルの事を深く知ろうとした時、ソロ曲の理解は最も簡単な近道のひとつとして浮かぶ手段でしょう。
霧子のソロ曲、【雪・月・風・花】が、本来の花鳥風月を差し置いて雪をはじめに据えていることからも先述した雪というモチーフ、その重要度合いが窺い知れます。
(順序が反転している理由は【琴・禽・空・華】や【縷・縷・屡・来】などで描かれた霧子の死生観が大きく関わっていて、生命の流れは循環しており、一種の輪廻転生のような世界観の中に現実を見る事に起因していると勝手に解釈してます)
霧子が美しいと感じる雪(や、植物ら)は、我々から見る霧子と近しい存在であり、
我々が霧子を美しいと感じる道理を他でもない霧子自信が、証明してくれているんですね。
まさにアイドル。その輝きは自明。
つまり、霧子は現実をありのままに見ることができるリアリストである反面、現実の中を生きるものへ感情移入し、幻想的にそれらと現実を共有できるロマンチスト的側面を持つ少女、ということですね。
決してふわふわファンタジーガールとかでなく。
(【霧・霧・奇・譚】は夢だから…)
さて、ここまで読んでくださった方はある疑問が浮かんだことと思います。
これインプットじゃなくてアウトプットの話じゃね…?
尤もな指摘です。
ただしこれが幽谷霧子の話でない場合に限り。
幽谷霧子のアウトプット
序盤の疑問に返ります。
霧子のコミュニケーションにとってもう一段階難易度を上昇させている要因が、
ここまでの思考回路を経てなお、それがそのまま出力されるわけではないというところです。
入力時にフィルターがあるように、
出力時もまた、出力用のフィルターが存在しています。
今回は2つのキーワードから解説しましょう。
1.言語化能力
2.語彙力
1の言語化能力についてから説明します。
言語化能力
それにはまず霧子の話し方と似たキャラクター
言語化能力の弱い存在として
浅倉透をピックアップしていくのがわかりやすいと思います。いぇー
浅倉透は霧子同様に抽象的な言葉を多用し、文末を濁す、意味深な表現を用いることの多い存在です。グー
この出力は、自分の頭の中にある内容を表現する事が苦手であることに起因します。
「abcd」(例)という現象に対し、それをそのまま人に伝えることが難しい。
故に「a〜dのどれか」や或いは
「a〜dのどれでもない」というようなアウトプットが起こり、周りを戸惑わせる事に繋がります。本人の中では繋がってる、ってやつですね。(俗に言われている「透置法」もこの出力時のバグによるものです)
そしてこれは当然、現象や事実だけの話にとどまりません。 大切な、自分の感情を伝える場面でも同様になってしまいます。
他のアイドルにも多く見られる、
「言えない気持ち」ではなく
気持ちが言葉にならない。
「気持ちが言えない」
それこそが浅倉透と幽谷霧子の言語化能力の共通点です。
また、2人はやや近い感性を持っています。
音や声。その裏にある意味。
言葉にする事が難しい2人だからこそ、言葉以外の要素に、他者より強い思いを持つのかもしれません。
語彙力
では二者の差異は何なのでしょう。
現状の解説では2人とも同じようなコミュタイトルになってしまう説明内容ですね。
ですが実際はこのように、透は霧子とは全く異なるテイストのタイトルが用意されています。となると霧子と透を分ける要素は何か。
「浅倉透は自身の内面を言語化するための「語彙」を待ち合わせていない」です。
これだけで大きな命題となるため簡潔な表現での誤解は避けたいんですが…(自分みたいな過激派が聞いたら絶対反論してくるし…)
浅倉透コラムになり過ぎない程度に炎上を回避します。
浅倉透はそもそも教養不足が大きく目立ち(炎上)、圧倒的に語彙量が少ないです。そのため自身が感じている繊細な想いを形にできず、曖昧でぼんやりとしたワードチョイスになることが多いと言えます。
ノクチルの面々をはじめ、プロデューサーもよく振り回されているのが印象的かと思います。
別の要因として捕食が不完全であるという主題もあるのですが…それはいずれ…(何の話?って方はノクチル沼に是非)
では霧子はどうでしょうか。
教養という点で、霧子に不足があるでしょうか。
いや、ない。(反語)
霧子はよくネタにされる学歴厨霧子(このネタ嫌い!)の元ネタである、国立医大B判定という、アイドルと学問の両立をほぼ完璧にこなしている秀才です。
(ここで、完璧にこなせてはなくない?って思った人はもう霧子詳しい人でしょ!ほぼ、って保険かけておきましたからね!)
そのため知識、語彙量は申し分がないと言えます。
カード名に難読レベルの漢字が多くみられるのもこの博識さを物語っていますね。
今更ですがカードタイトルや個々のコミュ名というのは各アイドル本人の内面から出る語彙以外の物は使われないようになっています。
甜花ちゃんとか鈴木羽那といったチーム頭パーちゃん(再炎上)たちが少々高度な英文タイトルを付けがちなのが理論瓦解の香りを漂わせてきますが気にしないでおきましょう…(鈴木は勉強できないわけではないしまぁ…)
その法則性故に個々のアイデンティティが如実に発揮される部分となっていて、毎度そのタイトルさえ考察の余地を与えてくれます。(雛菜おすすめです)
つまり霧子もまた例外でなく、あの難解な漢字四字も、霧子本人の中から出た言葉ということになります。
ようやく本題に掠り始めた…
四字熟語ではない
霧子のカード名というのは、漢字四字ではあっても、狭義における四字熟語には該当しません。広義的には四字熟語と呼ぶそうですが。
要するに脈絡のない四字の並びにすぎないのです。
(【綿毛ノ想】はほんと、何なんでしょうね…。)
ここからが今回の肝の部分に当たります。テストに出ますよ。(ほんとに円環テストに霧子のカード名出て笑った)
では十分に教養の備わった霧子におけるこの出力のバグの正体は何なのか。
やっと前置きが活きてきますね…
そう、霧子は何より、「自分を伝える」事が苦手なのです。
この一見アイドル適正と真逆な欠点こそ、幽谷霧子の最大のテーマとなってくるのです。
霧子の包帯や絆創膏といったアイテムも、自分を表現することが苦手ゆえの言葉がわりのバリアーの役割を果たす物であるように(大切なものを大事に守っておきたいという気持ちもあります)、霧子にとって「表現」というのは無視できない大きな命題になっています。
「見せる」「見られる」事自体が霧子にとって敷居の高い行為です。それだけに霧子のアイドルとして、キャラクターとして、人間としての大切な、そして最大の課題の一つが「自分の気持ちを言葉にする」事、と定義できます。気持ちを伝える=自分を見せる事になるためです。
個々のテーマ
さて、ストレイライト以前の、追加ユニットでない4ユニットのアイドルたちは、wing編にて個人個人の大きな課題と向き合い、決勝近辺でその課題を克服する描写があります。
今と違い手探りな頃のシャニマスなので、ある種のチュートリアルのような簡素なテンポで課題を解決してしまいますが、
この個々の問題自体は以降も大切に扱われるテーマとなっています。
各々一番最初の課題にして、それぞれの最大のテーマとなっているわけですが、
そこでの霧子のテーマこそ、
「自分を見せる、自分を表現すること」
なのです。
(ちなみにこの発言はStep編での流れを受けてのものになります。泣く)
最後のパーツ
ここまで霧子のカードタイトルの
【○・○・○・○】
漢字の部分の話をしてきたわけですが
1つ、見えているのに話題にしてこなかった要素が残っていますね。
そうです。「・」(中黒)です。
これ大事か???
って思いますよね。大事なんです……
これこそ霧子の出力された言葉を「隔てている」それそのものであり、前述したバグの正体です。
対照的な類似
根拠としてまた1人例を挙げたいと思います。
漢字四字のカードタイトルを持つアイドルは、実は霧子だけではないのです。
杜野凛世です。
一見似通った2人のカード名。
ですがここまで読んで下さった方ならきっと気づくはずです。
・中黒がない
・きちんと意味の通る熟語になっている
という大きな2点の違いに。
凛世は霧子と異なり、自信の中で文章、物語が完成されています。
それが出力できる能力がないのではなく、勇気がない。「言えない気持ち」の方に該当するキャラクターです。
そして本人の気持ち次第で感情がきちんと外に伝わるように出力することさえ可能です。
(この写真家さんこの後のアドバイスといい優秀すぎるんだよな……)
そして当然、どこまでを言葉にし、どこまでを隠すかもしっかり凛世自身によってマネジメントされています。
(凛世も深く語るとここじゃ足りないので割愛…。擬人法の活用の違いとか主体性の対照さとか語りたいけど…)
ここで凛世を紹介した狙いは、
「・」←コレに意味がある事を伝える事、です。
(もうひとつ大きな狙いがありますが、後述します)
凛世と違い、熟語として成立しない漢字の並び。言葉と言葉を隔てている障壁。その意味の総括のために。
一気に結論まで持って行きましょう。
したがって幽谷霧子のカードタイトルが
【○・○・○・○】なのは、霧子の表現力、言語化能力の未発達さ故であり、いわば
「途切れ途切れな彼女の普段の口調そのものの具現化」
なのです。
で、あるならば、
数々の出来事の中で成長し、
【空・風・明・鳴】や【窓・送・巡・歌】
によって、新しい歩みを刻みはじめた今の霧子が、
さらに輝かしい未来へ羽ばたくのであれば、
彼女自身の心を、きっと彼女自身の言葉で
紡いでくれる。そう確信してしまうのです。
それこそがパラレルコレクションにおける、
幽谷霧子の最高の形だと私は信じています。
変わってしまったと 誰かが言うだろう
前へと進む度
だけどもう、遠慮なんていらない
誰の定義でもない 私であれ
Dye the sky.
作詞:烏屋茶房
作曲:ヒゲドライバー
編曲:ヒゲドライバー
さて、とは言ったものの、
これでもなお、アイデンティティにもなってしまっている既存の法則性を変えるまでには至らないのでは…?と思う方へ。
その可能性を与えてくれているのが
【かぜかんむりのこどもたち】
です。
【かぜかんむりのこどもたち】
(大事な事なので2回いいました。みたいになってるな…)
このカードも単体で語れる事が多すぎるので、有識な先駆者の見識をお借りします。
簡潔に要点を引っ張ると、
このカードにおいて霧子は風のいたずらによって言葉を取っ払われている状態になっています。
それこそが漢字のないタイトルという形で出力され、中黒さえも存在していません。
一見、風は霧子の言葉を奪ってしまったように見えます。
しかしガシャ演出において、霧子はやや現実味のない高さに、少し大きなジャンプをしています。
これもまた、風の仕業であり、
霧子は風の力を受けて、普段より少し高く「飛べた」のです。
つまりこのコミュは、霧子の今後飛べる高さを、未来の高さを予感させてくれている、この上なく大きな意味を持つカードなのです。
畳みかけます。
同様の法則性を持つ前例
実はパラコレにおいて、これまでのパターンを打ち破ることに成功しているアイドルが、既にいます。
それこそが先述し、解説を先延ばしにした
杜野凛世です。(ンォァー もう凛世のコラムじゃねーか)
凛世のカード名では、このように明らかにカタカナor英語表記にすべき言葉を全てひらがな(和)表記にしてあります。
これは凛世の過剰な大和撫子要素と浮世離れした様を表したタイトルな訳ですが、
パラレルコレクション凛世、ご存知ですね?
バチバチのカタカナです!!!!
これこそパラコレにおいて、アイドルたちはその殻を破る事ができる何よりの証明と言えるでしょう。
え、ほんとに凛世ってカタカナのカード名なかったの?
って方へ。
ありますごめんなさい。
なんやねん!!!!!!
って思われた方、落ち着いて聞いてください…
このローポジションというカード、かなり異質な存在なんです。
ほかの凛世コミュにおいて、悉く鈍感すっとぼけムーブをかますプロデューサーが、恐ろしいほどのパーフェクトコミュニケーションをかましてくるカードになります。
あまりに完璧すぎてこの後のコミュでまたそれ以前のムーブに戻っているのがとても不自然なくらいに。
「定義されない」ことで、新しい自分を知れた。
霧子は風によって、凛世はプロデューサーによって、それぞれ大切な存在の後押しによって、これまでの自分の殻を破り、少し先の未来に触れる。
そんな共通点が感じ取れます。
また、
【かぜかんむりのこどもたち】
【ロー・ポジション】
にはもうひとつ共通する事実があります。
この衣装といえば…?
そう、どちらもライブ衣装イラストが、
PANOR@MA WINGのCDジャケット衣装なんです。
PANOR@MA WINGということは、
つまりそういう事です。
そう、あの5thです。
ここで語る5thライブの意味合いとしては、Day1の方ではなく、Day2を経て、新しいキャンバスに物語を描いていってほしいという、
永遠→未来
の文脈での抜粋になります。
つまり他の何よりも、
「殻を破って未来に羽ばたく」
事の説得力を持つわけです。
総括
上記の2枚とも、
霧子、凛世の挑戦的な一歩目の先駆けであり、
未来を仄めかす
過去を超える
そんなタイミング故のカード名だったと言えるのではないでしょうか。
要するに霧子も凛世も、一度その殻を破る事に成功しています。
ならばこそ、
【ロー・ポジション】から【ラヴ・レター】
へと昇華させた凛世のように、
きっと霧子も自分の言葉で、飛躍したその一瞬を、グラデーションの先で辿り着き、超えていく未来を目指せる。
それこそが、漢字だけでも、ひらがなだけでもない、
「霧子の言葉」として出力される何かであり
パラレルコレクションという可能性の秘められたコンテンツに見る、私の最大の期待と願望なのです。
以上が、
「パラコレ霧子のカードタイトルが
漢字四字ではないと確信する理由」
の解説になります。
とはいえ普通にこの予言が外れても、
ああ、霧子はもっと成長できるんだな!
もっと素晴らしい可能性の未来があるんだな!
ってなるだけなので悔しくはないんですけどね!(生命保険)
ここまで拙い文章にお付き合い下さった方、本当にありがとうございました。
これを読んで、あなたの中の幽谷霧子像がほんの少しでも鮮明になっていればとても嬉しく思います。
すでに霧子担当の皆様
これからも共に霧子の生きる姿を見守っていきましょう。
幽谷霧子の人生に幸あれ。