映画「ニトラム」感想
オーストラリアで実際に起きた1996年のポートアーサー事件を題材にした映画『ニトラム(Nitram)』。
映画のタイトル「ニトラム」は、事件の犯人の名前を逆さまにしたもので、物語は彼の孤独や葛藤、事件に至るまでの経緯を掘り下げています。
母は彼を普通の若者として生きてほしいと願い、父は将来を案じて全力で支えようとします。
サーフィンに憧れる彼は、庭の芝刈りを訪問営業しながら生計を立てようとしますが、ある日、ヘレンという女性との出会いが彼の人生に新たな展開をもたらします。
本作の監督は『マクベス』などで知られるジャスティン・クルーゼル。主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズは、カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞し、その圧倒的な演技力が高く評価されました。
ジョーンズは2024年にはリュック・ベッソン監督の『ドッグマン』という映画に出演しており、その中でも彼の演技は圧巻でした。
『ドッグマン』では、内に秘めた怒りや孤独感を表現しながら、観る者を彼の世界に引き込む力強い演技を見せてくれました。
その独特の存在感と感情の幅広さは『ニトラム』でも遺憾なく発揮され、彼が演じるキャラクターの内面を痛々しいほど感じました。
映画を観る前、正直言って不安がありました。
この作品が描く世界が私にとってあまりにもリアルに感じられつらい気持ちになるのではないか、と。
しかし『ニトラム』は、息子の発達や特性について日々考える私に、彼の行動や周囲との関係性を改めて見つめ直す機会を与えてくれるものでした。
映画の中で描かれる母親の葛藤は、私に深く響きました。
「普通の若者として生きてほしい」と願う母の気持ちは痛いほど理解できます。
私自身も、息子の未来を思うときに、どうしても「普通」であることを基準に考えてしまいがちです。
しかし、『ニトラム』はその視点が、本人や家族にどのような影響を与えるかを考えさせられる作品でした。
また、父親の描写も心に残りました。
懸命に支えようとする一方で、彼自身の限界や弱さが見え隠れする姿に、人間の複雑さと親としての難しさを感じました。
印象に残ったシーンのひとつは、ニトラムが旅行のお土産としてたくさんのスノードームを買って帰ってきたことがわかる場面です。
本来ならヘレンと共に行くはずだった旅行。
困難な状況であるはずなのに楽しそうにお土産を選ぶその姿に、言葉にできない切なさがこみ上げました。
スノードームを眺める彼の純粋さと、それに裏打ちされた孤独が胸を締めつけるような印象を残しました。
そして、その後スノードームがどうなってしまったかも、わたしの胸を締め付けました。
この映画を通じて考えたのは、「支援」と「理解」のあり方です。
ニトラムが周囲からどのように見られていたか、そしてその視線が彼の行動にどう影響したのか。
映画は決して答えを明示しませんが、そこにこそ、この作品の意味があると感じました。
結論として、『ニトラム』は決して軽い気持ちで観ることのできる映画ではありません。
特に私と似たような悩みを持っている親や当事者にはお勧めできません。
しかし、親として、また一人の人間として、考えさせられる多くのテーマが詰まっています。
わたしにとっては、自分の中にある「普通」に対する価値観や、息子を育てる中での選択肢を、もう一度深く見つめ直すきっかけになりました。
観る前に心の準備は必要ですが、この映画が投げかける問いに向き合う価値は、間違いなくあると思います。