中将 大木繁 (19) 1945年10月21日 『ソ連領内へ強制連行』

「日本憲兵正史」からの抜粋 (p.1176)
こうして11月21日以降、憲兵関係者はチタを始め各地へ送られ、
過酷な抑留生活を強いられることになる。

「日本憲兵外史」からの抜粋 (p.1374)
この収容所(新京の南嶺捕虜収容所)には、9月以来、関東憲兵隊司令官「大木中将」以下の司令部関係将校が収容され、ソ連軍司令部の取り調べを受けていた。

10月21日、第一陣として松永中佐以下の憲兵隊司令部将校のほとんどが将校大隊に編入され、貨車で新京を出発した。いよいよソ連領へ抑留開始であ。

10月末、錦州憲兵隊の堀口中佐以下の将校が(南嶺捕虜)収容所に到着、まもなく錦州憲兵隊の一行もソ連行きとなった。

11月10日、将校大隊が編成されて、新京を出発。

11月12日、最後の隊司令部要員が冷凍貨車で新京を出発した。

(新京を出発した)護送列車がハルピンに停車中、(関東憲兵隊)教習隊長石原
中佐らと混合され、ハイラル経由で満州里を越え、
11月21日の深夜に(ソ連領)チタに到着した。

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