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木を聴く話③

『あん』(ドリアン助川、ポプラ社)の「あん」は、餡子のあん。

餡子を上手に作ることができる「吉井徳江さん」は、お菓子を作るのが好きな、ハンセン病を克服した女性で、主人公であるどら焼き屋の店長に餡子づくりを指南します。
その吉井さんは、店長にこんな手紙を出します。

「天生園にいてできることのひとつに、風の香りをかいだり、木々のざわめきに耳を傾けたりがあります。言葉を持たないものたちの言葉に耳をすますこと、私はそれを「聞く」と呼んでいます。」p154

吉井さんは、小豆に顔を近づけて餡子の声も「聞く」のだといいます。
けれども、実は、本当は、聞いたことがない、と同じ園に住む友人には打ち明けていました。

その吉井さんが、亡くなる一週間ほど前に、友人森山さんに打ち明けた「不思議な体験」。

空が赤く染まる夕焼けのころ、散歩道を歩いていたら、初めて「人間以外の声」、「木の声」を聴いたのだと。

「よくがんばったな」「やり遂げたな」。

それは吉井さんにとってとても幸せなことでした。

*****

「トクちゃん、同情されるような、そんな人生だったわけじゃないのよ。不幸せにおわったわけじゃないのよ。木は本当にささやいたんだと思うの。やり遂げたな。吉井徳江。よく頑張ったなって。そう言ったと思うの。だってね。」
 曲がった指を伸ばすように、あたり一帯を森山さんが手で示した。
「ここね、私たちのうち誰かが亡くなると、一本ずつ木を植えて増やしてきたところなの」。p236

*****

吉井さんが木の声を聴いたのは、なんだか不思議ではないような気がします。病によって急に家族との関係を断たれ、自由に表に出られない時代が長く続いた人生、たくさんの思いを胸に宿しながら、「がんばった」「やり遂げた」、吉井さん自身にその思いがあったからこそ、そして、単なる木ではなく、亡くなった方の形見のような木だからこそ、声も聞こえてきたのだと思います。



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