結婚式の雑音とインド行きの始まり
今回はなぜ私がインドに赴任することになったのか。そのきっかけを文章にまとめてみました。思考の整理とはテイストが異なりますが、自分なりにエッセイ風に言語化しました。キザな表現とかもあって、書いている自分も恥ずかしさで鳥肌が立ちましたが、これも振り返ればいい酒のつまみになると信じて書ききります。
インド行きの始まりは、とある友人の結婚式に参列したことだった。その日の式はいわゆる変わり者や優秀な人が多い式で、参列者たちが口々に語るのは「海外で事業を立ち上げた」「若くして駐在を任された」「大手企業でキャリアを着実に進めている」「うんたらかんたらほにゃほにゃ」と自分にとってまぶしい話ばかりだった。普通に聞けば何の変哲もない話だが、そのときの私には、なぜかずっしりとみぞおちに響き「自分は何者でもない」という劣等感が、じわじわと侵食してきた。社会で活躍する友人たちの言葉が耳に入ってくるが、その言葉は、誰も耳を傾けない古い居酒屋のBGMみたいに、ただ雑音として空気の中を漂っている感じだった。内容は何一つ頭に残らない。みんなの話を聞きながら「この人たちは、努力して、人生を手に入れつつある。え?自分は?」。次第に自分の中に深く沈んでいる劣等感が顔を覗かせてきた。劣等感とはナルトの九尾のような奴で、窮地に陥ると必ず顔を出してくる(ナルト読んでいない人はすみません)。九尾は力を貸してくれるが、劣等感は必ずしも助けてくれるとは限らない。もはや助けてもらったことなど一度もない。心の中で暗い葛藤と格闘しているその一方で、式場の華やかなステージは異様に輝いて見えた。
自己肯定感が崩壊し、劣等感に支配される瞬間は、ふいに訪れる。そんな時は振り返った過去がぼやけ、未来も同時に暗転していく。高揚感や多幸感に満ちていたはずなのに、徐々に視界がもやがかってしまう。劣等感という濃厚なスモッグが立ち込めるとき、大体選択肢が2つしか残されない。「逃げる」か「戦う」かだ。
これまでは、なんとなく「自分らしく」の価値のすり替えで逃げてきた。しかし、28歳になった今、その言い訳はもう通用しない。また誤魔化すのもかなりダサい。そんなもやっと悩んでいた時。仲の良い先輩が一言。「ええ話あるねん」。プリミティブに他人の土地でも売らされるのかと思ったが、話は意外な方向へと進んでいき、インドでの挑戦が決まった。
こんにちは、劣等感。今回は手合わせ願いますわ。