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Ise-03 板付遺跡

稲作は焼畑の栽培方法からより美味しく実りが大きい水稲栽培へ移行する。
板付はその発祥の一つ。

板付遺跡 集落を囲う堀を巡らし外側に水稲栽培エリア

この集落は川の氾濫が幾度も有って当時から試験的な集落だったという分析もあるらしい。

板付は福岡の博多区にある。
この板付が水稲栽培を広めるための挑戦の出先機構とするなら当時の本拠地はまだ焼畑農法が主体の山体の麓に広がっていたかも知れない。
 そして集落・部族へ貢献した人物の古墳埋葬とする遺跡は暴れ川の被害にあいにくい高台に積極的に造営されていただろうし現代にそれらが見つかっているのはその為かも。

古墳は催事の舞台でもある他に、生活圏の中心的な意味合いとして地域を統括してきた権力者の威風がここには受け継がれているとするのではと思うし、
また何か外敵に対しての偉容を見せつけているようにも感じる。

これまでの定説となっている古墳が墓碑的な意味合いだけなのか? そんな違和感を抱くのは周囲の山の緑を抜けてくる風の匂いと爽やかな冷気に包まれるからなのか。
やはり、現地に赴くことで感じる事こそがロマンを掻き立てるきっかけとしたい。
(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 缶

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