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親子の絆 1:大風呂敷 /3

私の家族のはなし。
題して「親子の絆」三部構成で展開したい。

子供との会話の遊び

私が小学低学年の時、父に連れられてよくドライブに出掛けた。 
父は当時、車専用の音楽カセットを数本持っていた。
大きさは食パン六枚切りより一回り小さくしたようなカセットテープ。
主に演歌。ガッチャン!と差し込んだり、引き出したり曲を替える度テープの入れ替えが必要で
ガッチャン! とせわしい。
だからか、車内ではいつも同じ曲を務めて流されていた。 演歌。「お酒はぬるめのかんがいい~♪」たまに「北ァ~のォ~酒場通りには~♪」これら演歌がエンドレス。

(ゴメン、車内の雰囲気を伝えるのが長すぎました)

車が赤信号で止まって、しばらくして、また赤信号で止まる。 ダラダラチンタラ 中々先を進まない、そんな時ふとどちらかが「進まないね~、ハンドル全然回さないね~」「回さないハンドルなんて無くていいね~」と言う。
「ハンドルなくなったらその分広くなるね~」
「そうだね~」
「でも、今度左に行きたい時どうすれば良い?」
「…───…。」
「行きたい方に身体を傾ける?」
「乗ってる人全員?」
「僕も一緒にお父さんと同じ方に傾くの~?」
「えー、楽しい!」

「じゃ 二人が右左別々に傾いたら?」
「は~い、車 分裂しま~す」
二人 ははは~ (   ´∀`)ハハハ (笑)

ひとまずこの会話は終わり。
沈黙。
車内は一時、エンドレス演歌。
父は、鼻歌…。

もっと話を楽しみたいボク。
いろんな空想の話しを展開して奇想天外な面白さに触れて驚きたい。
でも、そんなバカみたいな現実離れした話しを長々すると頭がおかしくなっちゃうんじゃないか?
みたいな空気を親から感じて自制するボク。

さみしい気持ち、物足りない気持ち、そんなものを抱いていた私。

我が息子との車内の会話、 どこか二人きりの会話。

私は、息子がどういう反応するだろうと試し試し
バカ話しを持ち出す。
乗ってくる息子。 楽しく下品なスレスレな空気を察知して牽制球を私がだして、暗黙のうちにそれをダメだと理解する息子。
また、その逆にあからさまに息子が「そういう差別的な事は言うたらアカンやろ!」と指摘出来る息子。

ことば遊びの中で発想して情景を好きなように描き表現をして伝える。 親子の遊びの中で世間のルールを共に学ぶ。気付く。空間の中の呼吸、息づかいから空気を読む。 人対人の温度感を遊びのなか、リラックスしたなか、構えずに体得してゆく時間。
無駄な時間の浪費、無意味な遊び、傍から見れば。
しかし、子供が大人になる時、私がそう感じたように心に刻まれたひと時として想い返されるなら無意味なんかではなかったと思いたい。

息子にある時、伝える。(高校生ほどになっている)
出来もしない話や計画を口に出す事を何という?
「ん~ 大風呂敷!」
そんな大それた事を広げる人を見てどう思う?
「俺は、言わないし、広げない」

…その人を否定はして、それを自分に当てはめて同じような考えはオレはしないって言う事ね。
大人になったな~ と感じる私。
そして、不言実行! って奴が美徳。
なんて息子は思ってるんだろうな~ とも思う。
しかし、それは昔。今は、有言実行でないと社会は機能しない事の方が多いんだよ、とそれはまたの機会にしようッと。(*¯꒫ ¯* )

続けて
でもね、口にだして人前でそれを広げられるって事は頭に無いことは産み出せないって事なんだよね~と誘ってみる。
(お父さんは、大風呂敷を否定してないの? という意外な顔を見せる息子)
若いうちは吸収する力があるんだからどんどん学んでどんどん大風呂敷を広げられるだけ広げた方が、小さい風呂敷広げるより格好いいと思うがね~。
(*´ω`*)

伝わってるのかは敢えて聞かない。
男の子であれ、女の子であれ子供は親から離れた時に刻んだ言葉をしみじみ思い返すもの。
それでいい。

いまだにうちの二人の男は
相変わらずバカな話しを適当にお互いの反応を見せながら繰り広げてはカラカラ笑ってる。

いつか畳んでも持ち帰られないほどの風呂敷
観れるといいよな~♪
なんて親の私がバカな空想をしてしまう。

エンドレス演歌がSpotifyから流れるとあの時の父親との会話を思い出す。
「アタマおかしくなんかならないんだからもっと話しをしたかった~」
「ねぇ、父さん」

(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 缶  2024.0912

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