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Ise-05 水城 土塁

福岡に昔、太宰府という政庁がありました。
西の古都とも言われています。
また、その当時 山城やまじろも二つ、政庁を護るため双璧のように配置されていました。
それが大野城と基肄きい城です。
その二つの城の前面に敵からの防衛である水城という土塁を巡らして機能させていました。
太宰府市、大野城市、春日市の三市を横断。
ですのでその長さは2、30kmほどになります。

現在その姿が幾つかにわたり現存してあります。
一見ただの造成跡地で山の一部を切り残した跡のように見えます。(切った大半は貴重な土塁の列だったんですけど)
水城、上大利、天神山、他点在してます。

土塁という土を盛る技術について

農業用水の確保でいう貯水池での水を溜める堰の構造は単にその辺の土を盛れば完成ではありませんね。
今でこそコンクリートでの堰を設けますが、昔は基本土のみだったでしょう。

5、600年頃の技術がこの水城跡に詳しく説明されています。

土塁の構造
山の土、川の土、火山の土
基礎 80mの幅 敷粗朶 火山の土

上の写真
「古代の技」三つを挙げています。
一つ「版築はんちく」土塁の中と上部
二つ「傾斜させた版築土層」土塁表層部
三つ「敷粗朶しきそだ」基礎部
を説明している。

土塁 完成までの工程

見ての通り、単に土を盛ったとはいかない計りか大変に緻密で多くの人を配置した組織的な土木技術と経験則あって初めて成し得る構造物です。
それを数十kmに渡り完成させるのですからどれほどの期間と人数を登用させたのでしょう。

基礎部から当時の葉っぱが色を付けたまま確認された

基礎部の構築時期は夏の可能性とわかる発見。

大掛かりな大事業は間違いない。
この技術は古墳時代以後のものと考えるなら古墳時代こそ土を盛り上げて築き上げるには最新の土木技術が使われていたことだろう。

わたしが見たいのは当時の技術と工夫もですが、それ以上にその現場に携わる組織の汗と熱です。
息吹。呼吸。
息遣いとでも言うでしょうか、寄り添うとまで行きませんが当時の人のリアルな感情に触れて見たい。
きっとそれは現代の労役、労働者である私たちの日々の感情と何ら変わらなかったのではと少しでも肉薄したいのが、私の勝手な強い思いです。

これまで遺跡や古墳を紹介して来ましたが「へー、そうなんだ」で大半の人はその感動をどこかへ置き忘れてしまいます。(決めつけてはいけませんけど)

私も日々の生活であらゆるものが忙殺されて大切な思い出や旅の記憶などが頭の片隅から消えてしまいます。
そこで「昔の人も現代の人も心根は何も変わっていないし同じ知恵ある生活を自分の為、家族の為、地域の為、努力しようと踏ん張っている」と現代とリンクさせる気持ちにする事で消えゆく記憶を一つでも多く留められるよう気をつけています。

身の回りのもので新たな視点で見回ると新たな発見が出てきてもおかしくないはず。
と、そんなワクワク感も備えつつ小さなロマンを追い求める今日このごろです。

それではまた。
(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 無糖缶  2024.1010

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