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水稲農法で弥生時代が開花 逆に言うと…。

山での狩猟や採集、海川での海産物。
木の実を加工して食べやすく主食とする一方、焼畑による米作りも少量ながら栽培をしていた。

そんな縄文時代から弥生時代へと変わるきっかけはなんと言っても水稲栽培による美味しい米との出会いではないか。 
他民族との交流に障害が伴わない底辺の民の暮らしで力を合わせれば出来る程度の土木技術(生活の知恵)が伴い、 多少の汗をかける以上の対価としてふっくらとした美味しい米が収量ともに増せば自ずとその地域で拡大してゆくのは自然。

その交流に伴って様々な文化も根付いてゆく。
狩猟生活で自然の洞窟を寝ぐらにしていた暮らしが徐々に竪穴式住居という定住型が普通になるのも食の安定が身込めたからと思う。

庶民の他を受け入れる懐の深さ、度量の大きさが暮らしを変え、クニをも変えた。
それが弥生時代の開花の原点だと思う。

食の安定により生活が豊かになる。
当時、食が生活の全てだった。

今は食の多様化に嗜好が富み。
衣食住の三原則では物足りなさを感じている、ところか留まる事を忘れているかのように欲求を満たそうと躍起になっているようにさえみえる。

もし、水稲栽培から焼畑農法による米作りに戻るとしたら人は衣食住の三原則を思い出し、当時の美的感覚をも懐かしむだろうか。

水稲農法で弥生時代が開花。
逆に焼畑農法に変わったならば人は質素倹約、地球に優しい文化に移れるだろうか?

(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 缶  2024.0822

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