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「あなた」について


 「犯人はあなただ」と名探偵が容疑者を指さすとき、そこにはあなた意外から「あなた」を特定する目的がある。その場面にあなた意外が居ようと居まいと、想定される可能性を丁寧に潰した結果として、「あなた」は指さされることになる。指先から、エネルギーは他の誰でもない「あなた」にむかって凝集する。
 指さされた「あなた」は、必ずそれが自分のことだとわかる。「名前を言っていないのだから、自分のことだとは限らない」と逃れる余地なんて一ミリもない。ちょっと間をおいて、否定の意味を込めて笑ったり、「そんな馬鹿な・・」と反論を始めたり、まじで違うからこれはやばいと必死で反証を試みたり、いろいろできることはあるけれど、「私のことではない」ということにしてこの場面から逃げることはできない。
 「あなた」はかならず「私」になる。

 一方で、「あなた」は固有名詞ではないので、特定のなにかを常に指さし続けることができない。場面が変われば「あなた」が指し示す対象は変わり、時間が経てば「あなた」が指し示すものは変質する。後者については、もう少し説明が必要かも知れない。

 『幻の光』という小説がある。ゆみ子という女性が、自ら電車に飛び込んで死んでしまった夫に「あんた」と心中で呼びかけながら、過去を振り返り、再婚し、生きていく話である。幼なじみとして育ちながら、息子を出産してまもなくこれといった理由もわからず死んでしまった「あんた」は、ゆみ子にとって永遠の謎であり、いくら責めても責め足りない影であり、同時にこれ以上ない拠り所である。

‘新しい夫と、なんとか平和に暮らしていながら、死んでしもた前の亭主に、こうやってせっせと話しかけてる自分を気色悪い女やと思うこともあります。そやけどそれも習慣みたいになってしまうと、いつのまにか死んだあんたにではなく、かというて自分の心にでもない、もっと得体の知れん懐かしいものに話をしているように感じて、うっとりとしてしまうことがあります。その近しい懐かしいものがいったい何なのか、それもこれも、みんなわたしには判らへんことばっかりや。’
         宮本輝『幻の光』より

この小説では、「あんた」と一緒にいた昔を語るときも、「あんた」が死んでしまった後に自分に起こったことを語るときも、すべて「あんた」への呼びかけと報告のかたちをとっている。ゆみ子本人が言っているように、「あんた」は死んだ夫その人ではあるのだが、そこに収まっていることができない。かといって自問自答でもない。それは死そのものと読むこともできるし、あの世に行って自分を見守っているゆみ子の脳内夫と読むこともできるが、こうやって「あんた」を特定しようとすればするほど小説の味わいが薄くなってしまう気がする。ゆみ子にとっての「あんた」の遠さ、そして「あんた」が生きていた頃の夫に留まってくれず、時間の経過とともに意味的に拡散してしまうことがこの小説の肝だと思う。

「あなた」という言葉は、凝集と拡散のエネルギーを同時に孕んでいる。


 洋画を観るときは字幕派なのだが、英語では会話の中にYouという言葉がよく出てくるなと思う。日本人が会話するときに「あなた」という言葉は、けっこう腹に力を入れて放つ感じになるけれど。ラテン語を語原とする西洋言語圏と東アジアの島国で、言語の構造から違うのだから、まあそうなのだけど、英語は行為の主体と目的語を、日本語よりも俄然はっきりさせるよなと思う。同じ会話空間を共有していても、「あなた」はあなたで「私」は私。そこはナチュラルに、常にはっきりさせられる。
 逆に日本語ではナチュラルに主語の省略を行うし、場や会話空間の共有が至上の共通目的みたいなところがあるから、「あなた」を発語しなければならない場面では力が入る。これまでぼんやりさせていたものに改めて線を引く行為だから。分離のエネルギーが働くことを意識せざるを得ない。「そちら」とか言ってみたり、「自分」という言葉で「あなた」を表現してみたり、分離の緊張を避けるための涙ぐましい努力をしている日本人も少なくないはずだ。

 しかし本質的に、「あなた」は呼びかける相手が居るから発される。「あなた」は「他者」とイコールではない。「他者」が「あなた」になるとき、そこでは長短良悪あれどなんらかの関係へ開かれている。「あなた」と呼ばれるときも、「あなた」と呼ぶときも、根底には結合と関わりに向かうエネルギーが生じている。少なくとも「あなた」という言葉を発するとき、「私」はひとりではない。そして「あなた」の存在を、どんなかたちであれ承認していることになる。

「あなた」は分離と結合のエネルギーを同時に孕んでいる。


 「あなた」はけっこうドラマチックな言葉だと思う。代名詞だから中心にはぽっかり穴が空いていて、そのぶん逆方向から働くエネルギーを同時に孕み得る。私が文章を書くとき、特に意識するのは「あなた」の拡散性と結合性である。たぶんこれを言語化したくて、私はこれを書いた。

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