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お城旅 鳥羽城編

透き通るようなお天気に恵まれてやってきましたのは
『鳥羽城』です。
外観を観て説明文を読み
さっそく登ってみましょう。
鳥羽城の構造などは写真をご確認下さい。
織田信長と毛利の木津川口の戦いで鉄甲船などで活躍した水軍の将九鬼嘉隆のお城として有名ですかね。

当時は今と海岸線が違い、お城の周りは海に囲われていたようです。
長島や大坂本願寺なども今と違い、河口にあるお城で水軍の活躍がないと攻めにくかったのかもしれません。
城主もよく変わったりし、遺構も少ないのが残念です😂
鳥羽城の外観とその他まち歩きポイントです。
いくつか観て回りましたのでまた次回以降のnoteにて紹介させて頂きます。
水族館側から見たお城と旧鳥羽小学校になります。
私は、駐車場を無料の市役所に停めさて貰いましたので、こちらから入りましたw
家老屋敷跡で野面積で残っている箇所です。
御家老ですのでそこそこの広さですね。
本丸まですぐに登れます(当時は海に囲まれてるから大変でしょうねw)
歌碑があり、鳥羽城からの眺望を誉めているようです。
空が青いのが😌
左側が九鬼嘉隆が眠る答志島、右側の山麓が削られているのが菅島ですね。
菅島には昔父の友達が民宿を経営していたので渡ったことはありますが、セントレアなどの埋立土をここから採取されたようで、毎月40万m3程度の土がセントレアに向けて運ばれたようです。
天守跡には寂しく小さい看板が置かれてますw
横にはなにやらQRコードがあり、読み込むとVRで何か見えるようです(やってませんw)
山側の眺望です。
御殿があったようです。
そして、天守の南西側には井戸があったようで、
ここの天守跡は旧鳥羽小学校のグラウンドとして使用されていたようで、そこそこの広さがあります。
最近では坂本城などの石垣が出土したり、まだまだ地面の中に埋まっている遺構も多いので発掘調査により新たな発見があるかもしれませんね。
南側から見た天守の全容です。
天守から一段下り
旧鳥羽小学校方面へ
確かに穴が空いてますね。
そして、鳥羽城跡に立っているのは
旧鳥羽小学校です。
貼り紙で、監視カメラや重要な文化財である旨を匂わせていますが
御木本幸吉氏の出資と助言によって、校舎としては、三重県下最初の鉄筋コンクリート造で建設され、
現存する三重県最古の鉄筋コンクリート建築物であるようです。
若干文字が読みにくいのが残念です😢

と、いうことで鳥羽城跡を散策してきました。
また次回は、鳥羽の街を彷徨いてますのでそのあたりをご紹介します。

つづく

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