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お城旅 続100名城 津城

看板では、織田信包によりとありますが、

現在の津市の古称は安濃津(あのつ)であり、平安時代より伊勢国政治経済の中心地となっていた。鎌倉時代は藤原南家の流れの工藤氏を祖とする長野氏が支配しており、永禄年間(1558年 - 1569年)に、長野氏の一族の細野藤光が安濃・岩田の両河川の三角州に小規模な安濃津城を構えたことに始まるそうです。

城地種類 輪郭式平城
築城年代 永禄年間(1558〜1570)
築城者 細野藤敦
主要城主 細野氏、織田氏、富田氏、藤堂氏
文化財史跡区分 県史跡(津城跡)
近年の主な復元・整備 織田信包、藤堂高虎
天守の現況・形態 型式不明[5重/1577年築/焼失(火災)]

そして、津と言えばこの方ですね。
そう!藤堂高虎公

藤堂高虎は、黒田孝高、加藤清正と並び、築城三名人の一人と称されてます。
豊臣恩顧でありながら、西国の抑えの要として伊賀上野城や、安濃津を領有し、存在感たっぷりですね。

若き日の高虎(当時は与右衛門)が空腹のあまり、三河吉田宿(現・豊橋市)の吉田屋という餅屋で三河餅を無銭飲食し、そのことを店主の吉田屋彦兵衛に正直に白状して謝罪した。だが彦兵衛に「故郷に帰って親孝行するように」と諭され路銀まで与えられる。吉田屋の細君もたまたま近江の出であったという。後日、大名として出世した高虎が参勤交代の折に立ち寄り、餅代を返したという
出世の白餅(城持ち)のエピソードもありますね。
お城映えするのはこのあたりぐらいなのですが、生憎のお天気で、足元も少し悪くなってます。
入徳門というそうです。
安濃津川付近の低湿地帯なのかお堀の水量が多いです。
伊勢街道を城下に引き入れたりし、城下町を整備して32万石ぐらいになっていたそうです。
こうした現代と当時の比較地図などが有難いですね🤗
三重県の県庁所在地でもあり、県庁など様々な公共機関が並んでいますが、実は私過去に三重県立美術館に絵を飾られたりもしてます。
そして津といえば、朝日屋さんですね。
ジャズドリーム長島などにも出店されていますので、召し上がってみてください。

次回予告
『ちょっぴり津の町をうろつきます

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