写真 「焼き場に立つ少年」
有名なこの写真。
何度も見たことがあるが、今年の終戦記念日に最新の技術でカラーにしたところ新たに分かった事実が2つあるということを知った。
いつも胸が締め付けられるんだけど、今回は涙がしばらく止まらなくなった。
(この手の話が苦手な方はこの先は読まないほうがいいかもしれない。)
この手の話題を文章にすることは個人的には好きじゃないんだけど、あまりに感情が揺さぶられたので今日はもう書くもん。
まず、この写真、はじめて見たという方のために。
『焼き場に立つ少年』(やきばにたつしょうねん、英: The Boy Standing by the Crematory ; The Boy of Cremation Site)は、アメリカ人カメラマンのジョー・オダネルが撮影したとされる写真である。原題は、「焼き場にて、長崎 1945年」(英: Cremation Site, Nagasaki 1945)
オダネル氏が川岸の火葬場において『焼き場に立つ少年』を撮影。少年は弟が炎の中で燃えていくのをこの姿勢のまま凝視し、しばらくすると黙って立ち去ったという。
オダネル氏は1946年帰米。自宅のトランクの中にこれらのフイルムを現像することなく封印、1989年ケンタッキー州にある教会において、原爆による被爆者の像を目にし、核の恐怖を伝えていく決意を固め、およそ43年ぶりにトランクを開けて中にあったフイルムを現像した約300枚の中の1枚。
2017年にはローマ教皇のフランシスコが、この写真を印刷したカードを、署名と「戦争がもたらすもの」という言葉を添えて、世界の教会に配布するように指示を出した。「亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待つ少年。少年の悲しみはかみしめられて血がにじんだ唇に表れている。」との説明も加えた。
ワタシが今年新たに知った2つの事実。(実際はもう少し前に分かったものなのかもしれない。)
この写真を最新の技術でカラー化して詳細に分析したところ、
少年は鼻血を止めるためか、鼻に詰め物をしており、瞳の横から出血していた後も見られ、骨髄障害を患うほど被曝していたかもしれないとのこと。
この写真は裏焼きされた可能性が高く、左右が実際撮影された時とは「反転」しているかもしれないとのこと。
亡くなった弟を背負い、たぶん9~10歳くらいのこの少年。
意識の行き届いたピシッと伸ばされたこの指先を見ていると、涙が出る。
何度見ても泣けてくる。(なんならこれを書きながら泣けてきた。)
しゅんしゅん(ワタシの息子、今年21歳)もそうだけど、
この姿勢で、この指先でピシッと立てる10歳が今の日本にいるだろうか?
知覧に行った時も思った。(あの時も泣けたなぁ。)
特攻隊で出撃する直前にあんなに達筆であんなに立派な言葉を残せる20歳前後の若者が今の日本にいるだろうか?
10歳で唇をかみしめて、彼が押し殺している悲しみを想像するだけで胸が苦しくなる。きっと両親とは会えていないんだろうと思う。
ある美術史研究家によると、1945年(昭和20年)10月6日もしくは7日頃に撮影されたと推定されている。
原爆が落ちて2ヶ月もの間、どんな想いで、何を見て、何を聞いて、彼は生きたのだろう。
弟を荼毘にふした後、ひとりぼっちになって何処に行ったんだろう。
そんなことを考えれば考えるほど、
ワタシはしょんぼりして元気が無くなっちゃうんだよ...。
(ワタシがしょんぼりしてもしょうがないってことはよくよぉく分かってんだけど。)
いかなる理由があっても戦争はダメだと、絶対にダメなんだと
過去に何度も思ったけど、また今回も強く強く思ったそんな2020年の8月。