「開発学」という言葉さえ初めて聞いた
開発学(Wikipedia)
イギリスで発祥した学問分野であり、イギリスを中心に各国の大学院には多くの研究科、専攻やコースが存在する。国外・国内の経済、社会、環境等にかかわる多様で複雑な開発課題を解決するため、経済学、政治学、法学、社会学、教育学、文化人類学、医学・保健学、工学、理学、農学等の学問体系を学際的に駆使して研究する学問である。
簡単に書くと、世界で起こる不平等・不公平を(政治・経済・歴史・地理など様々な角度から分析し)解決するために何ができるかを考える学問で、イギリスが世界で一番進んでいるらしく、そのイギリスでマスターになるために学んでおられる現役の方から直接学べる貴重で光栄な機会だった。
そして一番初めに学んだのは、この開発学を学ぶには、クリティカルシンキングがとにかく必要だということ。
(日本人は苦手だと思う、この考え方。)
複雑な判断、分析、統合、また省察的な思考や自己モニタリングを含み、文脈に敏感な高次元の思考技能だと言われている。
人が言ったことも、「ほんとかよ?」と客観的な分析を必要だろうし、こんなにも情報が溢れている現代で、物事の本質を掴むためにあらゆる視点から調べることを求められる為、(ワタシが最近忘れがちな)深い思考が求められるなぁ、と。
でも世界では常識なのに、日本では知られていないこの「開発学」
ぜひ知ってみたいと思ったのだ。
環境正義と社会正義
Environmental and Social Justice
「正義」の形は視点や立場によって変わる。
その矛盾に直面する。
昔は「貧困」は不運だと考えられていたが、最近の開発学によってそうではないとなっているらしい。(それは前回の講義だったそうで、聞けなかった!)
例えば、貧困。
例えば、平等。
お金持っている人が、社会保障のために税金たくさん納めなくてはならないことは、本当に「平等」だと言えるだろうか?
正義の形は時代によって変わる。
絶対的な「正義」はきっとないけど、
環境正義と社会正義の概念は先進国では統一したほうが、きっと笑顔が増えるんだろうな、とは思う。
きっとこの開発学の役割は、細かいデータを多面的に分析し、仮説を立て、なるべくたくさんの「笑顔」を増やすことなんだろう。
でも、その陰には泣く人もいるってことで、そこにはお金で解決できない、宗教やココロの問題があるんだ。常に弱者が泣く世界に、この学問で違いを作れるかもしれない。
突き詰めると倫理観や哲学にまで波及するのは、想像に難くないし、
じゃ、幸せとは?に最後は行き着くんだろう。
みんなにとっての幸せとは?
民族や文化によっても違う。
相互理解を作り出すことはとにかく難しく、
いい開発やいい社会的変化ってなんだろう?と言うことを
地域地域への尊敬を忘れることなく、地球レベルで物事を考え、一つの学問として真剣にデータを採り、分析している人たちがいるんだと言うことを知れただけで、
単純だけど、ワタシは少し嬉しくなった。
経済発展の裏側で起きるたくさんの衝突。
市民の権利や環境保護と経済発展や企業(時に政府)の利益は相反することが多い気がする。
日本でも、産業が発展するかげに、環境汚染はつきまとってきた。
有名なところではイタイイタイ病や水俣病もそうだろう。
大気汚染がひどいからと言って、電気自動車を増やす陰で起きている自然破壊がある。
経済発展が善とされて気がするが、今ここにきて、本当にそうなのか?と考えている人が増えている。
発展すること、都市化することが正義ではない。
答えは出ないけど、
昨日の2時間弱の講義で、
まず、「違い」をありのまま受け入れることの重要性、
物事を深く考え、データから客観的に分析した上で、複数の視点から見える景色に寄り添い、描き出す想像力の大切さを再認識したんだ。
日本の学生たちに必要な視点と想像力だなぁと思う。
ホント知れてよかった。