「友達」の定義 〜トモダチと雨男とトイレットペーパー〜
昨日は、驚異の75%リピート率というZOOMお茶会の第2回目だった。
元はと言えば、大好きなオトモダチのシズちゃんとワタシが
このコロナちゃんのせいで一緒に大好きな歌舞伎にも行けないし、ゴハンも食べられないしねー。と2人でZOOMでお互いスッピンでくつろぎながらお菓子を食べたりお茶を飲んだりしながら1時間も2時間も喋っていたのが楽しすぎて、ちょっと他の人も誘ってみる?とFacebook上で声をかけてやった
第1回目が2週間前。
昨日は2回目と相成りました。(かなりためになる話満載で議事録とっちまった。)
その中で、こんなテーマがあった。
「何をもって友達という?何をもって知り合いという?」
という深い質問。
参加者の半分がおし黙り、上を仰ぎ見た。
このZOOMお茶会自体は楽しく大笑いしながら無事終了したんだけど、
その後ワタシなりに「友達の定義」について考えてみた。
1. 相手を「(苗字)さん」とは呼ばない。
2. LINEでのやり取りがある。
3. 2人っきりでごはんを食べたことがある。
4. 一緒に旅行に行ったことがある。
5. 重めの相談をしたことがある。
6. 一緒に仕事をする、しない関係なく
7. 住んでいる場所が遠くても連絡を取り合っている。
8. 腹を割った話ができる。
9. 他愛もない話で笑える。
10. 誕生日を知っている。
11. 愚痴をこぼしたことがある。
12. 親、子供、兄弟など相手の家族と会ったことがある。
13. (相手の)うちに泊まったことがある。
14. (自分の)うちに泊めたことがある。
15. 過去助けてもらったことに感謝を感じている。
16. 尊敬している。
17. 元気な時だけじゃなく、落ち込んだときにも会いたいと思う。
18. 相手の短所を知っているが、そこも含めて好き。
19. 価値観が同じ。
などなど。。。
きっと考えたらもっと出てくると思う。
この中でYESが何項目以上だったら「友達」で何項目以上だったら「親友」みたいな定義があるわけじゃない。
そして、ワタシが「友達」だと思っている相手からは、ワタシのことを「友達」だと思っていてもらいたい。という「欲」も見つかった。(うわっ。っと一瞬思った。)
散々(晩ごはんも食べすに)考えた挙句、
ワタシが着地したのは、
「友達の定義」は「雨男」「トイレットペーパー」と一緒である。
ってトコロ。
自分が「雨男である」「晴れ女である」といういう人を(自分を含め)ワタシは何人も知っている。
みんな、何かのデータがあるわけじゃなくそう言っている。
それと一緒。
あとは、うん◯した時にトイレットペーパーを◯cm使うって決まってない。みんなそれぞれにその人にとって適切で快適な長さがある。
お腹を壊しているときは自然に長めの量になったりする。
そして、そんな時でさえも「自分の長さ」がきっとだいたい決まっている。
この長さ、誰も人と比べたりしないし、よく考えたら誰かに教えてもらったこともない。それと一緒。
そう。
友達って雨男やトイレットペーパーと一緒。
あなたが「この人は友達。」って言えば、その人は「あなたの友達」。
人と比べたら無駄に上がったり下がったりしそうだけど、
そんなことする必要のない、そんなことする時間さえ勿体ない、
そんなハナシなんだと思う。
でも、さらにウダウダ考えた。
ワタシ達人間には「感情」があって、それによって状態が良くなったり悪くなったりする。(C'est la vie! )
相手がそんな感情に押し流された時に、
「友達なんだからこれくらいはやってほしい。」
「親友なんだからこうしてほしい。」という
相手の中に産まれた我欲にカチンとするんじゃなく、
それを受け入れられるのか?許せるのか?
そしてワタシも生きてりゃ、ネガティブ感情に飲み込まれる瞬間がある。
そんな時のワタシの中に産まれる「どろどろしたもの」を
許して笑い過ごしてくれたり、包み込んでくれたり、
まるで見えないかのように接してくれるのか?
ウダウダのつきあたりに見つけたもの
お互いの「どろどろしたもの」をちゃんと区別して横におけたとき、
友達って本当にありがたくて感謝しかない、そんな存在。
その人の大切なものを大切にしたい、とワタシが思う人かどうか。
出来た。
コレがワタシの「友達の定義」だ。
大切な人の大切なものを大切にしたい。
と改めて思った。
ポンコツな時いっぱいあるワタシだけど、
そんな風に生きていけたらなぁと思うのよね。
励みになります。個別にお礼のメッセージさせていただきます。