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マジでキミ、ワタシの救世主だわ。21年間ありがとう。

その後「舜亮」(しゅんすけ)と名付ける息子が、産まれたのは21年前の今日、本当に暑い蝉の声がうるさい夏の午後だった。

先輩経産婦から、鼻の穴からさくらんぼ🍒じゃないりんご🍎だよ。とか
いきむときに目を閉じると顔の毛細血管が切れて顔に赤い斑点でるよ。とか
おしりから打ち上げ花火あげるつもりで、とか
必要か不必要かは置いておいて、情報にまみれていたけど
怖かったな。

そもそも、予定日からは10日も過ぎていた前日お昼に破水して病院に入院し、夕方から陣痛促進剤を点滴されて、ほぼ24時間が経とうとしていたとき、待ちくたびれたのは、ワタシじゃなく両親とオットだった。

美味しい冷やし中華を食べに行ってくるね、と手をひらひらして3人で出かけていった後ろ姿を何も言わず、下唇を噛み締めて見送った。

結局、彼らが美味しい冷やし中華を食べて帰ってくるまでの間にワタシは出産した。

暑くて暑くて、分娩室のエアコンをもっと強くしてくれませんか?って
途中で何度も言ったら、
看護婦さんから「もう設定温度19度やからこれより低できひんわっ!」って最後は軽くキレられた。(きっと寒かったんだと思う。)

しゅんしゅんは小さくて、小さな声で泣く赤ちゃんだった。
お腹の上にとん。と初めて乗せられた時、
あれ?全然可愛いと思ってない自分に驚いたけど、

10ヶ月間、お腹の中でもぞもぞ動いたり、
時に「うっ。」とうめき声をあげるくらいに中から蹴り上げられて痛みを感じたのは、君だったんだね。そっか。君だったんだね。っていう感じの

なんとも言えない親近感を感じた。

あれから21年間、ワタシの人生はいろんな事が起こった。
しゅんしゅんを産む前より、母になってからの方が色々あった。

そんな時に、文字通り隣にいてくれたのがしゅんしゅんだった。
本当にワタシはこの世界で、ひとりぼっちかもしれないと真剣に思った時も、ふと横を見るといつもそこにいてくれた。
ワタシが自分の面倒を見るよりも、しゅんしゅんの面倒を見る方がずっとずっと楽だった。

それくらいに20台のワタシは捻れた愛や粘度高めの感情に覆われた本質を隠して毎日を生きていた気がする。
お金が必要な分より多くあり、物質的には満たされていたから、
幸せの本質の部分に気付く事が遅れてしまった。

30台になっても、ワタシの捻れた愛や自分らしく生きることに全く取り組まない姿勢は変わらず、どう生きていいのか分からないまま時間だけが過ぎていく。
お金は相変わらずあったから、人から羨ましがられることもあったけど、本質の部分はカラカラと音を立てるほど空っぽだったと、今から振り返ると思う。

自分という人間が「何者であるか?」に気付けず苦しんでいた当時のワタシにとって、目の前の人に求められるような「都合のいい」人になることは実はそんなに難しいことじゃない。だから、こんな母親だったら最高だなって自分で思える自分になることは簡単なことだった。

それが、ワタシに大きな学びを与えた。
ワタシが与える愛や喜びの数百倍の愛や喜びをいつの時もしゅんしゅんは返してくれた。その大きさに感動を超えて戸惑う事があるほどだった。

人を愛するってことはこういうことなのか、と
人をありのまま受け入れるということは、こういうことなのか、と
ワタシはそんな「人間の器の大きさ」みたいなものを
高額な自己啓発セミナーではなく、しゅんしゅんから学んだ。

母になって12年ほど経った時、しゅんしゅんと別々に住み始める。
ボーディングスクール(寄宿舎学校)に行き始めたしゅんしゅんと会えるのは、年に4ヶ月ほどになった。

時々「さみしくないですか?」と(特に男の子のママから)聞かれる事がある。
答えは「さみしくない。」だ。

愛の距離とは物質的な距離じゃないことを、ワタシはこれもしゅんしゅんから学んだ。離れて暮らし始めた時に、ワタシは自立できたんだと思う。

「女性の自立」は経済的な事にフォーカスされる事が多い気がする。
でも、ワタシみたいに経済的には「一見自立」して見えるけど、実のところ、精神的に自立出来ていない人もいるって事だ。

あれから又10年ほどが経って、
ワタシの40台はしゅんしゅんのおかげで物心共に豊かになった。
愛が何かを学べた。
自分が何に欠乏していたのか、気付く事ができた。
そしてそれを誰かに埋めてもらうために誤作動を起こす事なく、自分で埋める事が出来るようになった。

ワタシは今が一番幸せで、一番満たされている。
なんか遺言を書いているみたいな気分になってきたけど、思い残すことがないくらいに幸せだ。

ここ10年のワタシは、自分の人生を自分らしく生きている。
「自分らしく生きること」がどういうことなのか?をしゅんしゅんに具体的に見せることもできている。
でもどれもこれも、しゅんしゅんのおかげ、だ。

私たち親子は愛がうまく循環した親子だと思う。(とてもラッキーだ。)
1999年8月21日に本当にしゅんしゅんが生まれてきてくれてよかった。

ワタシを母にしてくれたんじゃなく、
彼はワタシに愛と生命力を吹き込んでくれた。
それがあまりに大きくて、
ワタシはその「余り物」で人に愛と生命力を吹き込める人間になれた。

お互い周りの人に愛と生命力を吹き込みながら生きていきたいなって改めて思う。
人生色々あるし、いろんな人がいるし、もらい事故みたいなことも起きることもあるけど、その時にそれに対処できる生命力を私たちは手に入れた。

とにかく怪我をしないで、健康でこれからも生きていこう。
これから今までの何倍も豊かに幸せに生きていこう。

しゅんしゅん21年間本当にありがとう。
お誕生日おめでとう。

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