「エシカル」ってコトバをひとり歩きさせたくない
エシカル、とか、サステナってコトバがひとり歩きしはじめている。
「エシカル消費」Ethical Consumptionとは、中途半端に半分だけ日本語にせずに全部ちゃんと訳すと「倫理的消費」という意味だ。
「エシカル(倫理的)」とは、「法律で決まっているわけではないけれど、良識的に考えるとこうだよね?」と多くの人が考える「社会的な模範」のこと。
素晴らしいご縁あって、最近週1で学んでいる「開発学」のシリーズのシェア。今日は、エシカル消費について、だ。
ちなみに、過去の講義のシェアは以下の3つ。
環境正義と社会正義について
SDGsについて
フェアトレードについて
エシカル消費について
SDGsの17のゴールのうち、目標12に「作る責任、使う責任」という項目がある。
目標1(貧困をなくそう)や目標10(人や国の不平等をなくそう)、目標13(気候変動に具体的な対策を)、目標14(海の豊かさを守ろう)、目標15(陸の豊かさも守ろう)といった目標をも同時にカバーできる、この「エシカル消費」
経済発展と持続可能な開発(発展)を両立支えるためには私たちの製品や資源の生産・消費方法を変えることで、至急エコロジカル・フットプリントを減らす必要がある。
ここで出た、また知らないコトバ、「エコロジカル・フットプリント(Ecological Footprint)」
これは、人間の活動が地球に与える負荷を記した指標のこと。負荷はグローバルヘクタールという面積で表す。
日本と同じ消費を世界中の人がしたら、地球が2.9個必要。
じゃ、なぜ、
エシカル消費やエコロジカル・フットプリントをワタシたちが知らなくてはならないか?
原因は、大量生産、大量消費。
そして、その結果、起きたことは、貧困、環境破壊、人権侵害、搾取。
それまで正義は「経済発展」だった。(そればっかり考えていたから、こうなった。)
地球が1年間で作り出す資源を、地球人は7ヶ月で使い果たす。(どう考えても計算が合わないじゃないか?)
日本人は、作る側だけが悪いと思う風潮がある。
知らなかった、教えてもらわなかった、ではもうダメなんだ。
欧米のように、消費者が賢くならなければ。
作る側(企業)にも買う側(消費者)にも責任がある、これがグローバル・スタンダード。
では、どんな「配慮」が必要なのか?
社会的配慮:フェアトレード製品、寄付付き商品、ファーマーズマーケット
環境配慮:リサイクル製品、自然保護に取り組む製品
人権:従業員の就労環境、地域住民の権利保護
動物福祉:飼育環境が適切
犠牲になるのはいつも社会的弱者だ。
Global North(青)/ Global South(赤)というコトバも初めて聞いた。
北の先進国(主に北半球に偏在している先進国)のツケを
南の発展途上国(主に南半球に偏在している発展途上国)が払っている。
平成29年の日本の現状のデータも教えてもらった。
倫理的消費という言葉の認知度、たった6%。
エシカルの言葉の認知度、たった4.4%。
必要なのは「教育」
私たちに何ができるか?
愛の反対は無関心。
そんなに無関心でいいんだろうか?
そんなに愛がなくて生きていけるのか?
商品を作るには、たくさんの人が関わっており、その人たちにも家族がいて、
環境も配慮して、利益もうんで、品質も維持して・・・。
そう考えるだけで、「やすいものをたくさん売る」ことに違和感を感じたい。
まず知ること。
世界の誰かを犠牲にしている事実を知ることだと思う。
ワタシもひとつ決めた。
もう安いチョコレートは買わないことを。
エシカルって言葉をひとり歩きさせちゃダメだと思う。
そして、流行らせてもダメだと思う。
「流行」と「浸透・普及」は違うのだから。