折衷の可能性
昨今ハイブリッドという発想が便利に使われているように感じる。
ハイブリッド自動車の出現でそのイメージに引っ張られているところも大いにあると思うのだが、ハイブリッドという言葉から僕は近未来に追いついたようなSF的イメージを受けている。
似たような意味の言葉でも、横文字と従来の日本語では随分と印象が違うことがある。ハイブリッドは折衷という日本語にしてしまって差支えのない場合が多いのではないか。
僕は、もちろんと言っていいほどの当然さで、折衷、と表現される方がなじみがありその意味を即座にイメージしやすい。
日本人が折衷という言葉を聞いて思い浮かべやすいのは和洋についてではないかと思っている。鎖国時代が長くしかも比較的最近まで続いていたことから、また、日本が島国であることから自国の文化とそれ以外の文化が完全に切り離されていた日本ならではの感覚なのかもしれないと雑な考察をしてみる。
和洋折衷というのは衣・食・住の全てで身の回りに当たり前に存在しているといって過言ではない。デニム生地の着物があったり、鉄筋コンクリートのマンションの一室が畳の部屋になっていたり、とんかつなどはもうそれだけで存在が和洋折衷である。と、なるとかつ丼などという食べ物は和洋折衷な素材を和洋折衷に料理しているようなワールドワイド極まりない食べ物であるといえる。
ハイブリッドはいわば、いいとこどり、であると思うのだが、いいところといいところを合わせたら相乗効果として必ずよりいいものができるとは限らない。
ここら辺に文化だの化学だのの面白さが詰まっているのだとは思う。
その理由の大きな点は、お互いの個性が弱まるということなのだと思う。
和装には和装の風情があり、洋装には洋装の便利さ手軽さスマートさがあったりするわけで、その利点の裏側にある不利益な点も含めて文化を味わうということなのだろうけれど、やはりそこがぼやけてしまう。
かといってハイブリッドには反対であるという思いは微塵もない僕である。
選択肢が広がって、そしてそれらを受け入れる柔軟性が日本人にあるということはとても喜ばしいことであると思っている。
どんなことでも手放しに能天気にウエルカムというのはいささか危機管理能力に欠けるのではないかと思ってしまうだけで、概ねやはりその意味ではよい時代になったなあと感じている。
僕が思う和洋折衷の最高の産物はてりやきバーガーであることをお伝えして今回はここでおしまい。