バランス
思考の癖のことを考えることが割とよくある。
思考の癖というものには、思考の傾向とか好き嫌いなども大いに含まれると思う。
僕が何かについて考えるときには、特に、バランス、ということに配慮する癖があるようだ。何年か前に、あなたはしきりにバランスバランスというよね、と指摘されたことがある。
指摘とは言ってもそんなにネガティブなものではなくて、僕の癖を教えてもらったというようなニュアンスだった。
ああ、そういえばそうかもな。うん、おそらくそうだろうな。とかなり素直に納得できたことを覚えている。
主に心のバランスを保つことを目的とすることが多いように感じているけれど、もっと物理的な天秤の左右の均衡を気にする神経質さもあるかもしれない。
例えば何かでルールを決めるときに、できる限り公平なルール作りを心がけることは極めて多数派なのではないかと思うし、僕もその多数派に入ってるのだろうけれど、僕が本当に気にしているのは、公平であることではなくてバランスが取れていることなのかもしれないと感じる。
なんだか結局同じようなことなのかもしれないが、僕の中では割と明確な違いがあって、公平であるということの確認は意外と難しいのではないかと思うのだ。
大食漢と少食に公平に食べ物を配分するということはどういうことかを考えると僕の伝えたいことが分かってもらえるのではないかと思う。
そのことはあらゆる場面で起こりえることではないのか。
しかし、その「公平」を「バランス」に置き換えて考えてみると、結果的に釣り合えばいいだけ、というような気がするし非常にシンプルに思える。
少し想像力を先に進ませると、きっと僕は、より摩擦の少ない世界、を求めるが故に、バランスを重視する思考の癖がついたのかもしれないと感じる。
ただ、世の中というのは向き合った双方だけのシーソーで成り立っているわけではなく、もっと多面的に物事を考える必要があるわけで、そこであまりにもバランスのことばかり考えるというのも逆にバランスを崩壊させる原因になりえるのかもしれない。
と、このように半ば一種のフェチズムと言っていいほどにバランスのことを考えている自分を発見できた今回のnoteである。
おしまい。