映画、という旅の途中で
クレイジーなのは我か社会か
2023年前も明けて約一月。
基本的にテレビを必要な時しかつけない私、その理由はネガティブなニュースと、馬鹿馬鹿しいバラエティしか飛び込んで来ないからだが(笑)、それでもネットでニュースを検索する限りにおいても、そのネガティブな事件事故のニュースが飛び込んでくる。
ストーカー殺人、強盗殺人、火事に車の逆走。増税にロシアとウクライナの殺しあい、だの、またまた流行り病が増えてるだの、マトモに聞いてたらまさに、
「気が狂う」
みたいなニュースを、さらに煽る様な報道。
かと思えば、中国の正月の賑わいや大食いバトルだの、我々の人生にそんな関係ない話をバラエティやワイドショーで取り上げるテレビ、って、まさに洗脳装置そのもの。
だからテレビを使うのは映画ソフトを再生するため、だけ。それと競馬ね(最近はまたWINSへ行き始めたので時々だ)。
そんな中、天下の強欲NHKが、未払いの人に割増金を請求するとかしないとか。ますます若者はテレビから離れる。
うーん、いい事だ(笑)
私も完全にネット専用のテレビにしようかね。
そんな中、ネット動画チャンネルで「クレイジーズ」という映画をやっていたので見てみた。これはかつてジョージ・A・ロメロが撮った作品のリメイクで、この作品の後でオリジナルを見直したのだが、両者を比較する事で面白い視点も見えてきた。
アメリカの田舎町で人々が突然狂いだし、政府によって町が封鎖される。強制的に隔離され、反抗する住民との攻防戦を描く物語。
その原因とは、町の水源地に政府が極秘で開発したウイルスを積んだ飛行機が墜落、それが漏れだし、水を飲んだ者が次々と感染して発狂、人々を殺し始めるというもの。主人公の保安官と妻の女医が異変に気づくも、既に時は遅く町は封鎖、人間は容赦なく隔離され、感染した者は無慈悲に殺されていく。オリジナル版はセミドキュメンタリータッチの作品として、ロメロの無常観を強調しているが、リメイク版はもっと主人公たちに寄り添っている。若い世代は断然リメイク版のほうが取っつきやすいと思うが、
さて。
この映画を今見て本当に怖いと思うのは、あの流行り病後の「社会」を経験したからだろうか。謎のウイルス、政府の介入、そして容赦ない隔離。かつて自由と称されたものがあっけなく管理下に置かれる、それが自由国家アメリカでさえそうなる、という現実に、我々個人はなす術もなく、自粛にマスクに手洗い、そしてワクチン打ての同調圧力に苛まれたこの3年間。
今はかつての様に実質上の強制に悩まされる事はなくなった。世界はマスクを外し、ワクチンさえ打たなくなった。その弊害がどんどんと明らかにされてきたからだ。
だがそれは【日本を除いた】世界の話である。
日本人の多くは未だにマスクを外そうとはしない。テレビでは流行り病がまだ進行中とばかりにワクチンを打たせようと必死だ。さらにはインフルエンザと同時流行が起きている、と騒ぐ始末。政府は緩和をアピールするも、一度植え付けた恐怖と不安はそう簡単に人々から去らない。
一方で12万近くの超過死亡が起きている。この数は広島と長崎の原爆に匹敵するぐらいの死者数だ。それだけの人がこの一年で平時より死んでいる。東日本大震災でさえ5万人の超過死亡だというから、この異常さは尋常ではない。だが世の中、この事実はテレビや大手マスコミでは報じられない。
異常な事が起きている。
なのにその事を人々は感じていない。
これはクレイジー、な事ではないのか?
だが、こーいう事を語ると、私自身がクレイジー、だと白い目を向けられる。既に言葉が通じていない現実が存在している。
映画の中で主人公は数々の理不尽な仕打ちを受ける。何が起きているのかを知らされず、目の前で反抗した人々が射殺される。事情を知らせれば納得する人がいるはずなのに、問答無用。当然ながら多くの市民は反撃し、権利を守ろうと防護服の謎の集団に立ち向かう。だがその男たち、つまり政府は顔の見えないまま、人々を制圧していく。
これが自由の国、アメリカで起こるのなら、そうではない国でどーなるかは一目瞭然。ロメロのオリジナル版も同じことを描いているが、リメイク版と違うのは、やはりそれが人間ドラマよりセミドキュメンタリータッチで描かれる、という事か。思えば代表作「ゾンビ」もまた、何事が起きたか分からぬまま、理不尽な世界を唐突に描く。死者が蘇り人肉を食らう。それと同じことを描いてるに過ぎないが、だからこそ人間は弾圧される側もする側もパニクったまま、現実に対応するしかない。
そしてそれを尻目に金儲けを考えている輩の存在。リメイク版はそんな彼らを俯瞰で見ているショットが前半とラストに登場する。前半は水源地に墜落した飛行機が存在している、というもの。そしてラストはやっと脱出した主人公らを監視している、というショット。
さて、このショットは似て非なるものか?
否。
これは両者とも同一の意図によるのだ。全ては【実験】であり【経過】の観察。我々視聴者はある組織(それが政府なのか、それ以上の何かなのかはあえて言わない)によってこの事件が【仕組まれた】ものだと知る。
偶然に起こった事故、ではない。
人々が狂ったのも全て人為的なもの。もちろん反抗する人間が出るのも想定内。だからそれを阻止する側も命令、という指示のみで動く。治安維持という名目で反抗する人々を無慈悲に殺していく。
まさに駒。将棋の駒かチェスの駒か。
ここでオリジナルとリメイクの視点の違いに気づく。オリジナル版は人々の動きを『横』の視点で描くが、リメイク版は前述の様に『縦』の視点を取り入れた。この動きによって本作が単なるホラーを越えた、陰謀劇という社会性を加えた映画となった。
さて、現実の社会。我々は基本『横』しか見ていない。人の素振り、流れるテレビや新聞の受け売り、そして人の噂などで情報を判断する。それしか見てはいけない、かの様に。だから一度、こんな事態が発生すると大騒ぎし、権力側の指示にすがろうとする。流行り病シンドローム、というべきか(笑)
だがここに『縦』の視点を加えるとどーなるか?社会のカラクリをする手懸かりとなる。
それを横しか見ない人間は〈陰謀論〉とハナで嗤うが、そもそも彼らこそ無知である事は歴史が証明する。歴史こそが『縦』の視点である。ただ、それを解明するには時間がかかるもの。
だからこそ、我々ひとりひとりがその視点を持たねばならない。
リメイク版はこれが陰謀、という視点で終えたが、さて、この3年間、世界を混乱させたあの流行り病は果たして?
んなバカな!テレビの言う通りだよ、と言う多くの皆さま、果たしてそーなんですかね?
未だにあやつの正体が解明された、という話は聞きませぬが?宇宙の果てに行かずとも宇宙、を解明した人類が何故、これに関してはダンマリを決め込むのか?
テレビで強盗事件や、紛争の犠牲者の話はアホみたいに流すのに、超過死亡の数を知らせないのは何故なのか?
果たしてクレイジーなのは私ですか?
社会ですか?
本日の映画。
「ザ・クレイジーズ」1973年
監督 ジョージ・A・ロメロ
「クレイジーズ」2010年
監督 ブレック・アイズナー
追記
寒波が東京をも襲うらしい。東京で最低気温-7℃!
すわ、これも温暖化のせいか!
はい、それもテレビの受け売りかもよ(笑)
今頃、ダボス会議とやらでそんな人類総奴隷計画の話をしているそうだが、彼らのやり方に疑いを持つのが、生き残る術かも知れない。
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