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映画、という旅の途中で

8月15日、戦争映画を観る

77回目の、終戦記念日、だ。
いや、正確に言えば敗戦の日、である。

左翼側から見れば記念日だろうが、右から見れば屈辱の日。あの戦争を教科書的に信じる人はこの日、靖国神社に参拝する人は非国民だが(笑)、参拝しない日本人こそアメリカに隷属する非国民だと、思うか思うかは定かでもないが、どちらにしろ、戦争が終わった77年前を一つの視点にしてこの8月、テレビは戦争を回顧する番組発信に忙しい。だが、どれもが毎回当たり前の話に終始し、
〈戦争はいけない〉
の美辞麗句を並べ立てる。数ヵ月前はロシアとウクライナの戦いに、ロシア=悪、叩き潰せ的な言論に、そうだ、そうだ、と騒いでいた国民が、いざ自国の過去の戦争には、
「俺たちは悪くない、軍部が悪かったんだ!」の顔をして、毎年同じ思想で国民の脳みそを洗濯する。片や、隣国の脅威を吹聴して自国防衛、核保有を高々と叫ぶ真逆の思想を煽るのも同じマスコミ。議論するのは大いに結構だが、まずはあの時代、何故日本が戦争しなきゃいかなかったのか、を学ぶ事を日本全体が考えないと、戦争を語れないのではないかね?

そんな朝から戦争映画を観ることにした。
「激動の昭和史 軍閥」
かつて東宝が年に一度製作していた〈8.15〉シリーズの第4作目。総理大臣、東条英機を主軸にして、肥大する軍閥と戦争経過、そしてそれに対峙したマスコミをテーマにした意欲作。
もう何度も見ているが、見る毎に様々な視点が自分の中でも芽生えて実に面白い。

初めは仕方なく総理になった東条英機がやがて独裁者となっていく過程、一方で戦争賛美からその現実を知って、真実を語ろうとする新聞記者を描く2つの視点がドラマを進ませるが、なんと言ってもクライマックス、美味しいところを持っていく黒沢年男演じる特攻隊員の言葉がやはり心を抉る。
「勝つための戦争ならやってもいいのか!」
勝つためなら何をやってもいい、勝てば官軍。さて、戦争以外にも今の日本、同じ文言が幅を利かせているのは自明の理。金こそ全て、そのためには正義も政治も歪めてもいい。それがどんな世の中を作ったか?今、ワイドショーを賑わす統一教会と政治家の話も、元を正せばここに行き着くのでは?

一方で、政府の大本営放送を鵜呑みに垂れ流す手法は77年前とどこが違ってるか?真実は封じられ、言論統制を平気でやっているマスコミの姿勢は、戦争の真実を封じるかつての政府追随とどこが違うのか?
そりゃかつてと違うものもある。ネットの普及で、真実を知らせる心ある人々も存在するが、相変わらずの大衆のほとんどはテレビ、という洗脳装置を鵜呑みにして、あの時代と同じ様に政府の走狗となって、真実を封じていたりする。あの時代は新聞とラジオが全て、それが現代ではテレビに変わっただけ。でなきゃ、○○警察、なんてお節介野郎がふんぞり返ったりしないだろうに(笑)

怪物化する東条英機。
変化していく新聞記者。
そして変わらぬ大衆。
政府を信じた民衆が、悲劇的な最期を迎えるのはそれこそ戦争の真実、だが、一方でアメリカと戦うか否かで喧々諤々、議論をした政治家、そして最後まで外交努力した天皇の姿も真実(左翼思想はそれを虚偽、だと叫ぶだろうが)。
そして又、口では政府を監視する、と言いながら、あの時代と変わらぬ大本営放送を踏襲するマスコミの現実も真実、だ。

欲しがりません、勝つまでは。
今も同じ事を国民に強いているマスコミと政府。口では自由です、と言いながら、脳みそを洗濯された国民を手下に堂々と真実を覆い隠す彼らのやり方を、この映画を見ながら、
『日本人て77年経っても本質は変わらないなあ』と、半ば呆れつつ、この作品が作られた同時、少なくとも反省を持って映画を撮っていた映画人にはやはり敬意を抱く。

さて、本日、私は靖国神社には行きません。
中道、ですから(笑)

本日の映画。
「激動の昭和史 軍閥」
監督:堀川弘通
出演:小林桂樹、加山雄三、黒沢年男、三船敏郎、山村聰


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