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映画、という旅の途中で

監視社会下の自由は果たして自由と呼べるか?

マイナンバーカードが事実上の義務化、だという。任意、と言ってたはずが国民に真も問わないで勝手に閣議決定、という時点で今の政府の独善かつ独裁色が強いのは明白なのだが、それに対して国民が抗議活動が起こってる、なんて話も聞かない。いや、本当はものすごく運動が起きてるのかもしれないが、大手マスコミは報道はしない。あのお注射による被害さえ報道しないのだから、国のお墨付き報道機関なら当然か。いやはや。

監視社会が刻々と現実味を帯びてるのに、当の国民は声さえも上げない。この国の民度がだだ下がりしてるのは、この国の自由が勝ち取ったものではなく、与えられたものだからに他ならない。これがアメリカなら暴動は必至、人の財布の中まで国に監視されたくない、と、徹底抗戦なのだが、そもそも流行り病騒動がピークの時に、
「自由にも制限が設けられるべき」
と、真面目な顔で語る市民が写し出されて唖然とした覚えがある。今でもテレビで元大阪知事とか抜かす弁護士(タレント文化人?)が自由より国家が大事、などと宣う姿をみるにつけ、ますますこの国の自由の意味が問われてると思うのだが。

そんな中で、久しぶりにそんな監視と自由の意味を感じさせる映画を見た。
「エネミー・オブ・アメリカ」
まさにアメリカの敵、という題名。さて、敵とは誰か?なんとごく普通の市民、なのである。
映画のジャンルはアクション・スリラー。
なのにこれが実に奥深い。
エンタメの中に見事なほどの社会風刺、かつ社会批判がどっぷりと描かれた快作だ。

〈アメリカの敵〉から国家を守るためにテクノロジーでの監視を合法化しようとする政府機関が、プライバシーの侵害だと断固反対する議員を暗殺する。
だが、その一部始終が偶然から録画されていた。それを知った組織が録画した一市民を抹殺、しかし男がテープを主人公の弁護士ウィル・スミスの買物袋に隠した為に、彼は陰謀に巻き込まれる、というストーリー。
主人公は何故、狙われるか分からない。むしろ自分が関わるマフィア絡みの事件の延長だと勘違いするが、あれよあれよという間に私生活をめちゃくちゃにされる。仕事を奪われ、家庭を破壊され、挙げ句の果てに殺人容疑者にまで。この辺りはいかにもアクション映画のヒットメーカー、トニー・スコット監督らしいスリリングかつテンポよいカットで、見るものを飽きさせないが、やがて彼は殺された元恋人の協力者である天才ハッカーのオッサンとともに事件の真相を知り、組織への反逆を開始する。

展開はさすがにハリウッド。だが、私は映画をエンタメ、としてだけ見るのではなく、その背景に至るアメリカの体質、いやどんな国にでも存在する支配者VS個人の対立、そして自由という意味を本作で見いだす。

そもそもアメリカ及び資本主義を標榜する国は、人々の自由を最大限に〈保障〉する事で成り立っている。その自由の為に責任、という言葉が国家の基盤となっている。責任を義務、と称する事も可能だが、さてそれらは自由より重要か否か?

この作品のラスト、さりげなくこんな様なセリフが流れる。
「彼らは自分を守ることが保守、だと考える」
言いえて妙、だ。
我々個人の自由より、国家を守ることが上。そのためには個人の自由など奪って構わない。だから監視こそが正しい。大衆は我々が守ってやるからこそ生きられるのだ。その国を守ると偉そうに語る保守派は結局、国を守ってるのか?否。己の利権と権力を守るためにそんな屁理屈を吹き回ってるに他ならない。

この作品の悪役(ジョン・ヴォイト)は管轄する組織、の正義を逸脱し、監視社会を推進する議員とともに、まさに己の為に反対派の政治家を暗殺する。それを隠蔽し、その監視を正義、だと信じる組織の一員(世間では彼らを公務員という)を使って、1人の市民の自由と権利を剥奪し、自分達に不利な暗殺の証拠を奪おうとする。
これが彼らの言う保守、の真実。普通はそれを保身と言うのだが(笑)

主人公は真相を知るまで、何故自分が追われているのか知らない。事件の発端となったかつての友人の死にさえも無頓着、だ(あくまでもストーリーの流れだから当然か)。だが、そんな些細な事件がやがて怒涛の如く、暗殺事件いざ知らず、我々の自由に対する脅威の意味を画面に叩き付ける。
この頃のトニー・スコットは完全に兄貴(リドリー)に肩を並べていたね(笑)。

面白いのは追いかけている手下達、がその行動を正義だと信じている点にある。ラスト、逮捕された一人(ジャック・ブラック)が、
「これは訓練だと思っていた」
と真面目顔で言う。
そう、彼らは「仕事」という名目で個人の自由を奪う事を「正義」だと本気で信じている。これが怖い。これこそが公務員、いや組織にハマった人間の感覚であり、組織防衛の為には個人を殺しても悪びれもしない「平凡な人間」の純粋たる悪、なのである。
かつてのナチスの犯罪も、実行したのは命令に黙々と従った人間達。兵隊も然り。仕事と割り切り己の人間性さえ顧みない。
それらの理屈が〈国家のため〉、だ。
その名の下に国は平気で戦争を仕掛け、正義を気取り、個人から自由や尊厳を奪う。

そんな事件を解決するのが、かつてその組織で国の正義のために働き、疑問を抱いて今は一匹狼、となったプロ(ジーン・ハックマン)。
彼の若き日の写真が、盗聴のプロを演じた「カンバセーション盗聴」(フランシス・コッポラ監督)のものなのには思わずニヤリとしたが、糖分がないと癇癪を起こす、というキャラクターも然り、彼がむしろアナログ的なシステムで、テクノロジーを掻い潜るのが痛快。
まさにハイテク集団VS町の電気屋親父(笑)
最後は万事休す、かと思わせて、マフィアとのトラブルを利用するクライマックスは、スコット監督の旧作「トゥルー・ロマンス」を彷彿とさせて、これまたニンマリ。

と、最後はエンタメらしい幕切れ、とともに監視社会を企てる組織より個人の自由の勝利、と形式的には終わる映画。
もちろんスカッとするし、面白かった、で終われる映画だ。

だが、この作品から四半世紀、ますます管理社会、監視社会の傾向は強くなっている。その現実を告発したスノーデンはアメリカを追われ、それを正当化したアメリカは、今やグローバルと名乗る輩とともに堂々と個人の自由を奪う行動に走ってるかの様だ。流行り病しかり、遠い国での紛争も然り。もちろん、アメリカの走狗、我が日本政府は言わずもがな。
まさにジョージ・オーウェルが危惧した世界がすぐそこまで迫っている。

自由は国家の監視下にある。
そんな事を堂々と発する保守派、を名乗る輩がテレビ電波を使って人々を洗脳する現実をみれば、本作の主人公の様に、ある日突然、国家の敵にされ、自由を奪われる、なんて夢物語ではないのかもしれない。
そもそも国家の敵、とは誰か?
自由、そのもの、ではないか?
ならばそれを望む我々は当然、いつでもこの映画の主人公になる。なりたくなければ奴隷、を選ぶしかない。
増税にも我慢ガマン。
徴兵にも我慢ガマン。
そして国家のためなら人柱になるのも当然。
そんな時代が明日にだってやって来るかもしれない。それは多分、台湾有事、という形で。

敵は隣の国、と自由を唱える国民。
マスク警察、ならぬ自由警察、なんてのが闊歩するやもしれない。やがて人々が互いを監視する、北朝鮮の様な日本がやって来る。
〈自由は敵だ〉

そんな時代が来年、来ない事を祈るばかりだ。

で、本日の映画。
「エネミー・オブ・アメリカ」
1998年アメリカ作品。
監督トニー・スコット
出演ウィル・スミス、ジーン・ハックマン、ジョン・ヴォイト

引用作品
「カンバセーション盗聴」74年アメリカ
監督フランシス・コッポラ
出演ジーン・ハックマン
「トゥルー・ロマンス」92年アメリカ
監督トニー・スコット
出演クリスチャン・スレイター







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