ぴったりナラティブに、いつか出会う
セラとぴあの山田です。
このコーナーを書き始めた時、
とてもお世話になった本があります。
近藤康太郎さんの
「三行で撃つ <善く、生きる> ための文章塾」
(CCCメディアハウス)
最初の頃の私は、変に力が入っていました。
「こころの健康に関する情報を題材にせねば」
という思いが強かったのです。
でも、あることが気になり、
なかなか手が付きませんでした。
ネットでも本でも、
こころの健康の情報が溢れている世の中です。
どこかから引っ張ってきたことを書いても
新鮮味がない気がしました。
「どのみち、有名な人(=説得力の有る人)が書いているし」
という思いも、抵抗になっていました。
といって、本当に新しいネタなんて、
そうそうあるワケもなし。
そんな時に読んだのが、冒頭で紹介した本です。
その中で印象深かったのが、次のような考え方です。
私なりに要約すると、こんな感じです。
・古典落語の噺は、複数の演者に共有されている。
観客の方もすでに内容を分かっている。
・それを、各々の落語家による
語り方(表現・演出の工夫)で、
観客の関心を引き出している。
・文章についても、題材(ネタ)というレベルでは、
もう出尽くしている。
それらをどう「語っていくか」が大切である。
本の中ではこのことが、「ナラティブ」
と、表現されていました。
こころの健康のネタ(テーマ)自体はかぶっても、
語り方を工夫すれば、
読者の方に関心を持っていただける余地はある!
この考えに触れて、ずいぶん気が楽になりました。
実際に生かされているかと言えば、そこはアヤシイ。
そもそも、こころの健康ネタをお届けするスタンスからも、
いつしか離れてしまった私ですが・・・。
それでも、ここまで続けてこられたのは、
この考え方のおかげです。
さて、題材(ネタ)と語り(表現)の関係について、
思う事をひとつ、付け加えたいと思います。
現状を変えよう、悩みを解決しようと思って、
私たちは何かを読んだり、人の話を聞きます。
それが入ってこないことも多いですが、
とてもこころに響くこともあります。
もしかしたらそれは、語り口、使われる言葉
語られる順番などの影響かもしれません。
「何が書いてあるか」よりも「どう書いてあるか」です。
せっかく時間をかけて読んだこと、
聞いたことが今イチだと、ガッカリします。
自分が楽になれる教え(?)など、ないのだろうか・・・
と考えてしまいます。
でももしかしたら、自分に届くナラティブに、
出会ってないだけなのかもしれません。
題材は有限、表現は無限
それは、受け手も同じ。
自分にピッタリくる語りが現れる可能性は、
十分あると思います。
今年、みなさんが楽になれるナラティブに
出会えますように!
<補足>
こころの健康関連でナラティブと言えば、
「ナラティブセラピー」を連想される方も
おいでかと思います。
同じ内容(現象)について、表現方法が変わることで、
受け取り方(それに付随する感情)が変わる、
という点が共通すると思います。