光る存在
初めて光に気づいたのはロサンゼルスからロングビーチに引っ越した時だ。
近所に学校が併設されたプロテスタントの教会があるくらい、アメリカはカソリックよりプロテスタントの方が身近にあって信者数も多い。
だけど、荘厳でクラシックなアンティークの装飾や彫刻、ステンドグラスが好きなタイプはカソリックの教会に目がないはずで、ご多分に漏れず私もそのうちの一人だった。
儀式もロザリオの祈りも教会で販売されているグッズも「素敵」の一言に尽きる。
奇跡を起こすジーザス・クライスト・スーパースターを追っかけるミーハーで、マリア様もマグダラのマリアもイスカリオテのユダも大好き。
人間臭くない人は逆に信用できなくて、聖人と言えど人間である以上、いろんなトラブルに巻き込まれるのは致し方のないこと。
天の鍵を勝ち取った方が常に正しいとは限らない。
そう思っている。
そんな人間を丸っと愛してくれるのが天の父だ。
私にとって父は光で愛そのもの。
どんな光も天に属する。
天の父の周りには天使がいるというのが教会の設定だが、天に属しているのでやはり光る。
雲のような光
見え始めた光にはいくつか種類があって、目を閉じて祈っている時に見えるのは雲のような2色の光だ。
「どんな色?」と言われると表現するのに困るのだが、ゴールドとシルバーというのが一番しっくりくるかな?
右と左に光と影のような大きな十字架が見えて、中央から細かい十字架の群れのような雲がこちらに向かってやって来る。
以前は、濃いブルーや濃いピンクの時もあった。
青い光と赤い光
天の話をしていると現れるのが、キラッと光る宝石のように小さな青や赤の光だ。
青い光を見る方が多い。
光はいつも答えを導き出し、返事をしてくれているかのように瞬いた。
ピンクの光
ロングビーチにあるアパートの1室でロザリオのお祈りをしていた時のこと。
右上からピンクの光が下りて来た。
その光は私の目の前まで来ると、ボワンボワンと膨らんだり縮んだりしながら何かを待っている。
戸惑いながらしばらく様子を見ていると、どうやら私に「受け入れるのか?」と語りかけているようだ。
「う~ん」と悩んだが「よし!」と心が決まると、丁度心臓の辺りにある扉が開く感じがして、「えっ!」と思った瞬間、ピンクの光はスーッと胸の中に入って来て扉は閉じた。
じわぁっと温かさが胸いっぱいに広がり、とても心地良く幸せを感じたのを覚えている。
カソリックとプロテスタント
そういえば、プロテスタント系の教会が多いアメリカで洗礼を受けたいと思っていた時のこと。
近所にあった教会へ何度も足を運んだのだが、どういうわけか行くといつも閉まっていたり、邪魔されたりして中へ入れない。
カソリックの教会は中へ入れるし聖体拝領も出来るのだが、やはり「洗礼は必要ないのでは?」と神父様に言われて出来なかった。
神父様曰く「イエス様のお弟子さんたちが皆洗礼を受けていたわけではないから」なのだそうだ。笑
男鹿の教会で拒絶されたのは、その時に始まったことではなかったのだ。
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