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人生そんなもんよ 1 母
目の前にキャベツ畑が広がる練馬区、そこが私の生まれ育った場所で人生のスタート地点だ。
三軒寺のバス停近くに清掃工場が建っていて、家から見えるくらい周りには遮るものが何もない。
最寄り駅は西武池袋線の石神井公園駅だが、決して家から近くなく、不便な場所だ。
平屋だった頃はまだ6人家族で、二階建てになる頃には弟が加わり7人家族になっていた。
ここでまず、これは小説ではなく、全てリアルな話だと断っておきたい。
記憶が曖昧な部分もあるし、ひっちゃかめっちゃかな人生をそのまま書くことに何の意味があるのか分からないが、前を向いて歩く皆に少しでも寄り添い、最後は「人生なんてみんなこんなもんだよ」と笑い飛ばせたらいいなと思っている。
母の両親
まず、母の衝撃的な生い立ちについて触れておきたい。
母方の祖父の出身は山梨だが、祖父母は長年浅草三筋町に住んでいて、祖母は男勝りで気の強いチャキチャキの江戸っ子。
何でも器用にこなせるタイプで、料理も裁縫も周りの人を唸らせるほどの腕前だった。
夫婦で看板書きを生業としており、下書きや下絵は祖母が担当。
それを祖父が清書し、時にフリーハンドで筆を操る。
母はその二人の一人娘だった。
生みの親問題
母には生みの親と育ての親がいて、生みの親は祖母の姉で育ての親が祖母だ。
祖父は若かりし頃の写真を見る限り、とんでもないイケメンで当時かなりモテたに違いなかった。
その証拠に、芸者からもらったという百合の形に彫られたオパールの帯留めが今も我が家に残っている。
祖母には子が出来ず、どういう流れか霊媒師に見てもらうと「家の軒下に沢山のへその緒がぶら下がっているのが見える。身内に子殺しをしていた人がいるからあんたに子供はできないよ」と言われた。
子殺しとは、今で言う堕胎(中絶)のことだ。
祖父はどうしても子供が欲しくて、内緒で祖母の姉を孕ませ、産まれたのが母だった。
私が昭和生まれだから祖父母は大正の人。
当時、子供が出来ず他の誰かに産んでもらうケースはよくあったらしい。
だが、相談もなく内緒はムリでしょ内緒は。
しかも、相手は姉だし。
現実を受け入れるのは困難だ。
時代がどうあれ、人の感情は今も昔も変わらない。
故に、ことが公になると、祖母は怒りと絶望に駆られて家を出た。
祖母の相談に乗ってくれた男性を追って北海道へ向かったのだ。
男性がどのように諭したのか分からないが、しばらくすると祖母は家に帰って来た。
祖母の姉との奇妙な暮らし
母に言わせると、祖母の姉(生みの親)は異性関係にだらしない人だったらしい。
性格も祖母と真逆で芯がなく、物腰が柔らかくおっとりしていておとなしいから、いいように弄ばれて捨てられるタイプ。
一度お金持ちの家に嫁いだが、妾に乗り込まれて正妻の座を追われ、「はい、そうですか」と何の抵抗もせず着の身着のまま家を出て、お金も行く当てもないからどうしようもなくて祖父母の家に転がり込んだ。
祖父との関係もその性格が災いしたのかもしれない。
少しは抵抗しようぜ、抵抗を。
そこから無事に再婚するまでの間、祖父、祖母、祖母の姉と母の奇妙な4人暮らしが始まった。
愛憎
愛憎は表裏一体なのかもしれない。
母は祖母に陰でよくいじめられたと言っていた。
人の見ていないところで思いっ切りつねったり、冷たい水を頭から浴びせたりするのだと。
そうかと思うと、祖母は母に綺麗な着物を着せて手を引き、近所を自慢して歩いた。
1つ屋根の下で母を可愛がる生みの親と育ての親が、子を孕ませた祖父と同居しているのだから、そりゃあドロドロとした愛憎が渦巻くのは当たり前だ。
しかも、祖父は母を異常なまでに溺愛していた。
祖母は周りの誰に対しても嫉妬を抱かずにはいられなかっただろう。
逆に、よくそんな場所に自分の身を置けたものだと感心すらしてしまう。
祖母の姉が再婚して家を出たとしても、祖母のやり場のない気持ちは、悟りでも開かない限り、死ぬまで悶々と続くのだから。