見出し画像

100の質問に10万字で答える(1/n)

noteで、また書いてみようかな。

そう思いつつ、かなり長いあいだ、なにも書かずにいた。そもそも自分が最初にnoteを始めたのはいつのことだっただろう。たしか、とてもクローズドな形で、ごくわずかな人に向けてしか記事を公開していなかったように思う。だから感覚としては、note再開というよりも、ほぼ新規スタート、noteデビューといっていいかもしれない。

最初の記事というのはいつも、何を書いていいかわからなくて、なかなか書けないものだ。昔、大学ノートの最初のページだけ、どうしても自分らしくない力の入った字になってしまうことが、自分のちょっとしたコンプレックスだった。虚勢を張ろうとする自分の姿がそこにあらわれているような気がしたのだ。それがいやになって、使わずに捨てたノートが何冊かある。お金と資源を無駄にするほうが、醜い自分と向き合うよりましだった。

その延長で、というわけではさすがにないだろうけれど、とにかく最初の記事を書くということに抵抗があり、それで長いこと、「またnoteで書こうかな」の気持ちから目を背けていたのだった。

そんなある日、偶然、友人が声をかけてくれた。
「今、100の質問に10万字で答えるっていう無茶なことをやってるんだけど、一緒にやらない?」

note再開1記事目を書くための、これ以上なく良い言い訳が降ってきた、と思った。100の質問で10万字ということは、質問1つあたり1000字。ためしに最初のほうの質問を見ると「名前」「性別」「誕生日」など、通常は一行で終わるようなものばかり。それを、1000字ずつ使って語る。こんなばかみたいな自分語り記事、根気強く読んでくれる人は一人もいないだろう。よかった、それだったらなんとか書けそうだ。そんなふうに思ったのだ。


1.名前

瀬良万葉(せらまよ)。この名前で生活していると、「本名ですか?」と訊ねられることが多い。いつも「本名です」と答えるけれど、現在の戸籍には婚姻後のべつの姓で登録されているから、正確には本名ではない、のかもしれない。

では、「生まれ持った名前です」といえば良い? いや、それもできない。わたしが生まれたあとに両親が離婚して、そのときに瀬良という姓に変わったので、生まれ持った名前はまた別なのだ。

つまりわたしは、自分の人生の一定期間だけ本名であったものを、ずっと、まるで本名かのように使い続けている。「瀬良万葉」という名前は、いまどこの誰にも保証されていない名前で、自分が名乗り続けない限り、存在しえない名前だ。

そう思うと、名前というのは意外とやわらかくて脆いものだと思う。でも、そんな脆い概念によって人間はある程度規定されてしまう。

昔、実家で犬を飼い始めるときに、「濁音の名前を付けるとやんちゃな犬になる、半濁音の名前をつけるのがおすすめ」と誰かから聞いた。どれだけ根拠のある話なのかわからないけれど、感覚的に、自分の名を呼ばれるときの音というのは重要かもしれないなと思う。わたしの名前について親は、名前を呼んだときの響きのやわらかさ、丸っこさにこだわって名付けたと言っていた。たしかに、べつの名前で呼ばれる人生だったら、全然違う人間になっていただろう。

名付けというのは暴力的な行為だと、つくづく思う。この世に生まれて最初に受ける、愛情を伴う暴力。名前という自分ではどうにもできないものが、否応なしにその後の自分を築いてゆく。まあ、人生というのはおおむねそんなものかもしれないけれど……でも、だからこそ、自分で自分の名乗り方を決められるチャンスが到来したときは、なるべくそのチャンスを活用したほうがいい。わたしは今名乗っている「存在しない本名」を気に入っているので、今後もそれが正真正銘の本名であるかのように、ずっとこの名前を使い続けるだろう。

2.性別

私は女です、女だと思っています、でもこうやって改めて聞かれると、急に不安になってくる。だって女性らしさ的なものは自分のどこを探しても見当たらない気がする、というか探しているうちに、自分が何を探しているのかわからなくなってくる。身体の構造についても、ほかの女性たちと見比べて「おんなじだね」ってなったこともない。そう思うと、本当に自分が女だという自信が持てなくなる。自分の性について考えていると、同じ文字を書き続けたときのように頭が混乱してくるし、森の中で道に迷ったみたいに、途方に暮れるしかなくなる。

それでも今はとりあえず女ということで、話を進めてみようか。女に生まれて大変だなと思うこと。妊娠する側の性であること。本当にほんとうにいやだなと思う。このいやさが、わたしにとってあまりに大きすぎる。気持ち悪すぎる。怖すぎる。つい最近まで、友人が出産したときにおめでとうと言えなかった。でも最近は自他の区別がついてきて、彼女らがそれを自ら望んでやっているのだと理解できるようになったので、心からおめでとうと言えるようになった。

それ以外はおおむね満足、まあこんなものかなあ、という感覚である。女性用の衣服やコスメは選択肢が多くて幅広い、これはけっこう嬉しいかもしれない。その日のモードで装いを選び取れるのは楽しいし、演じ分ける楽しみみたいなものもある。今日を生き抜くうえでの励み、栄養ドリンク的な感じでコーデやメイクを活用できるときもあったり。かわいいウェポン。

性別に関連して自分の弱点がひとつある。ふだん、人と接するときに性別をあまりにも意識しておらず、「女って/男ってこうだよね」みたいな言説にピンとこない部分があったり、コミュニケーションのモードを間違えて人に迷惑をかけたり傷つけたりしているかもしれない点。特に最近の社会では、性別によって不平等が起こらないように、という動きがたくさん生まれているが、それを達成するためにはむしろさまざまな差異に繊細である必要がありそうな気がしていて、そのときに自分のこの鈍感さが、邪魔になる。

もちろん、差異ばかりに目をやっていては見過ごすことも本当にたくさんある。たかが性別、と思う自分がいる。でもまた別の自分が、性別の重みをあまりなめるなよと言う。名前と同じかそれ以上にどうにもならないことであって、どうにもならないことはいつも、あらゆる側面で重くのしかかってくる。この重みを自分の身体で感じ続けながら、いかに軽やかに切り抜けられるかを考えたい。

3.誕生日

5月12日。本当はもう少し早く生まれるはずだったけれどなかなか出てこず、母いわく「のんびりやさん」の胎児だったらしい。予定日から数日後、ようやく陣痛がはじまったと思ったらそこからが大変で、まる2日ぐらい? 母親に負担をかけつづけて、ようやく出てきたそうだ。

おなかの中がよほど心地よかったのだろうか。今でも、安心できるところで眠る時間がこの世で一番幸せな時間だと思っているから、生まれる前のわたしは予定日を過ぎても「もっと寝ていたい……」と思っていた説が濃厚である。

あるいは、よっぽど生まれてきたくなかったのかなあ。そうかもしれないな、実際、生まれてみると面倒なことばっかりあるし。いろんなことを考えて、生まれてこなかったほうが全体として幸せだったかもと思うことがよくある、今も80%ぐらいはそう思っている。だけど、もし着床後生まれずに死んでいったとしたら、誰かに悲しみを与えるだけの存在で終わっていたかもしれなくて、それはそれで嫌かもしれないなあ。胎児は嫌って思うこともできない? そういうのはいったん置いとかないと、生まれてきたほうがマシだったって思える理由はなかなか見つからないよ。

そういえば毎年、誕生日の頃になると、実家で芍薬の花が咲くんです。今年も咲いたよと、郷里から知らせが届いたりして。自分の出生とか、運命のようなものについて、これだけが唯一、悪くないかもと思える部分である。

4.年齢

いつからだろう、自分の年齢をすぐに思い出せなくなったのは。現在の西暦と自分の出生年との差を計算してようやく自分の年齢を認識するのだが、そもそも現在の西暦のほうもぱっと思い出せないことが多く、よく「今 何年」とかでググっている。

思い出せなくなったのは年だけでなく、日付も同様である。スマホやPCの日付表示がなければ、今日が何月何日かを思い出せる気がしない。逆にいつまで、今日の日付をすんなり頭に入れていられたんだろうか。少なくとも中学校の頃までは今日の日付を突然聞かれても困らなかったような……もしかすると、黒板に大きく日付が書かれていたのがけっこう大事だったのだろうか? それとも、単純に脳みそのフレッシュさの問題なのか。

なんだか年齢の話から遠ざかってしまった、とにかくわたしは1990年5月12日生まれ、各自これを読んだ日の日付から逆算して年齢を把握してほしい。

ワインが好きな者として、1990年に生まれたことは光栄である。というのも1990年は世界的なグレートヴィンテージ、当たり年だから。そういえばちょうど先日、1990年のワインを飲む機会があった。抜栓を見守りながら、このワインが重ねてきた年月、自分が浪費してきた年月を思った。が、味わってみると、その味わいの芯のほうに、予想以上にまだフレッシュさが残っていた。

ところで、わたしは生まれてから一度も、人生プランというものを描いたことがない。そもそもそういう計画を自分で描けると思ったことがなかった。そのため、今何歳だから将来に備えてこういうことをやっておく、みたいな気持ちを抱いたことも全然ない。

教育を受ける中で「将来の夢」を聞かれる機会は多かったが、何度聞かれてもその質問の意味がわからなかった。だから、訊ねた人が喜ぶであろう答えをその時々で答えていた。

そのときに目の前にいる人を喜ばせるような、あるいは驚かせるような、怒らせるような、悲しませるような答えを選ぶ。それがわたしの人生の進め方だった。それは、将来の夢を聞かれたときだけではない。作文のテーマを考えるときも、部活動を選ぶときも、実際の進路を選ぶときも、恋人との関係を進めたり壊したりするときも、常に視界にはAからDの選択肢があり、その中でどれかを選んで回答する感覚だった。

しかし最近、人生の目標をきちんと設定し、その達成を目指している人たちと話しているうちに、「もしかして自分の人生って自分である程度コントロールできるのかも?」と気づき始めた。

わたしは今まで、目の前にある4つぐらいの選択肢から、そのときの気分で好きなものを選んできた。それこそが、好きなように生きることだと思っていた。でも実際には、世界はもっと広いらしい。他人との関係によって与えられた限定的な選択肢から仕方なく選ぶのではなくて、選択肢そのものを自分で自由に設定してもいいらしい。そういうことがわかってきた。つまり今までのわたしは、全然好きなようには生きていなかった。

そして今からは、好きなように生きていくこともできる。それはとても怖い。でも、この前飲んだブルゴーニュのように、自分の心の芯にもまだフレッシュな部分が残っているはず。それを頼りにして、今まで飛べなかったところまで飛んでみたい。

5.身長

身長って思った以上に大事だ、と思う出来事があった。ある日、10cmの厚底スニーカーを履いて身長163cmになってみたら、街が急に歩きやすくなったのだ。

身の周りにあるすべてのものが、自分のために設計されているようだった。駅の看板も電車の行き先表示も、あらゆるものがすべて見えやすい位置にあるので、何も考えなくても必要な情報が目に飛び込んでくる。高いほうの吊り革しかない場所に立っても、別に不安にはならない。電車が混み合ってきても、目の前に誰かの背中が迫ってくることはなく、普通に息が吸える。

とても驚いた。自分が強くなったような、誇らしげな気持ちにさえなった。そして、ふだんの自分はこの社会の標準から外れているのだ、というのを初めて体感して、ひどく悲しくなった。たった10cmプラスするだけでこんなに見晴らしがよくなるのだから、もし今よりも20cm背が高い自分だったら、さぞ俯瞰的に物事を捉えることができただろうと思う。

でももちろん、153cmの目線でしか得られない感覚もたくさんある。たとえば、世界の「中」に埋もれている、潜り込んでいる、といった没入感もそのひとつ。たしかに見晴らしはよくない、けれど、この世界のうねりを耳で聞き、肌で感じ、圧倒されることができる。ゴーグルをつけずに海に潜ったときのような、ぼやけてくぐもった安心感とともに、153cmのわたしは今日も生きている。

つづく

延々と自分語り、予想以上にハイカロリーな作業でしたので、今日はここまでにして続きはまた今度書きます。もし、続きも読んでみたいなと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひフォローしてください。

いいなと思ったら応援しよう!

seramayo
応援してください。日々、書き続けるための励みにします。

この記事が参加している募集