苦労を知らない人なんて居ない
友達がいない留学生活の土曜日は暇なくせにやる気が起きない。昨日まで授業をひーひー言いながらやっていたからである。おまけにNote なんて新しい趣味を見つけたもんで、今日はオフにすることにして自己紹介でも書きます。普通に怠けてるだけです。
こんな育ちを読者(今でも今後でももし居たら)のお目目にブチ込むのにまったく気が引けないわけではないのだが、私の育ちははっきり言ってアレだった。母親に虐待されていたのである。そんな母と暮らす必要があったわけだから、顔色を伺ったり機嫌を取り持つことや空気を読むことばかりが上手い子ではあったと思う。今でもそれは上手だ。
結局母とは中学二年の時に別れた。以降、私は兄と父と一緒に過ごしてきた。大学に留学まで行かせてもらえたわけだから、父には感謝してもしきれない。
だが大学生活を通じて、私は「家が金持ち」というキャラ付けをされる瞬間が訪れる時が増えた。そりゃ前から留学に行きたい行きたいと周りに言いふらし、実際留学に行かせていただいているわけで、親がアベレージ以上に稼いでいなければそんなこともさせてもらえないだろう。だが同級生から薄ら笑いと「苦労を知らない人」というイメージを課されるたびに、私はいつも辛かった。(個人的には)さすがにおいそれと開示するのは気が引ける生い立ちなので、どれだけそんなことないと言ってやりたくても、笑ってその場をやり過ごすしかなかった。
最近になって、SNSでは社会的な主張を隠さない人たちが増えた。そういう人たちはだいたい、「親が留学させた金持ち」だの「ああいう人たちは苦労なんて知らないんだろうな」みたいな論調にさらされる。こうした論調は自分が言われて嫌だった分、すまんが大嫌いだ。私が隠し通しているように(何人かの親友には言ったけど)一見苦労なんて知らなそうな人が、その裏にどんな苦労を抱えているか、私たちは分かるわけがない。それならば、私はせめてその人がしてきた苦労を否定しない人間であろうと思う。
どの辺が自己紹介なのかいまいち分からない内容ですいません。今までこういうことがあって今はそういうこと気を付けながらやってますよってことです。色々考えすぎずこの Note は等身大の自分が思ったことをばんばん上げていくことにします。