同期の恋人のフリをすることになったお話
社会人にとって夏休みというのは非常に貴重なものである。
学生の時には1か月、大学生にもなれば2か月近くも休みがあったのに、社会人になったら1週間でも休めれば大ラッキー。
〇〇も社会人になって夏休みというのをほとんどとったことがない。
たいてい仕事が忙しく、それを理由に有休を余らせていた。
しかし、今年は初めて会社に夏休みの申請を出した。
土日をつなげて9日間の休み。
それだけあれば海外旅行だって行ける。
にもかかわらず、〇〇の姿は困惑の表情を浮かべながら、日本の田舎を走るローカル路線の昔懐かしさを残す車内にあった。
〇〇「それで、俺が美波の恋人役をね…?」
目の前で申し訳なさそうに両手を合わせている会社の同期の梅澤美波に向かって再度確認の意味を込めて語りかける。
美波「…本当にごめんね、巻きこんじゃって」
〇〇「いやまあ、事情が事情だから仕方ないとは思うけどさ」
ことの発端は数日前。
美波にかかってきた実家からの一本の電話がきっかけだった。
母親「そこを何とかお願いよ美波」
美波「だから、そんなこと急に言われても困るって」
母親「お祖父ちゃんがどうしてもっていうんだからお願い聞いてあげてよ」
突然かかってきた母親からの電話。
いつも他愛もないことで電話をかけてきては、やれ「早く結婚しなさい」だの「いい人はいないの?」など面倒な話題を振ってくるので、少しばかり億劫だったが、今日の話題はいつも以上に面倒だなと辟易とした。
美波「そんな急に彼氏を見てみたいっていっても、いないものはみせられないよ」
今年90歳になろうとする美波の祖父がなにを思ったのか、美波の彼氏を見たいと駄々をこねているらしい。
母親「もうお祖父ちゃんもいい歳なんだし、それに死ぬ前に一度でいいから美波の彼氏を見たいって言ってるらしいのよ。お祖父ちゃんのお願いを叶えると思って、ね、お願い!」
美波「”死ぬ前に一度でいいから”って何回目よ。今まで何回お願い聞いてきたと思ってるのよ」
母親「もう~、美波が彼氏連れてこないと、お祖父ちゃん会いに来ちゃうかもよ~」
美波「うっ、確かにお祖父ちゃんならやりかねない…」
仕方ない。
こうなれば最後の手段。
美波は、そう心にきめると、母親に”わかったわよ”と告げて早々と電話を切った。
そして、入れ替わりにある人物に電話をする。
美波「あ、〇〇? 遅い時間にごめんね。ちょっとお願いがあるんだけど」
というわけで、恋人役を美波の数少ない気心知れた男友達である〇〇に白羽の矢を立てたというわけだ。
〇〇「ってか、美波の実家って神奈川じゃなかったんだな」
美波「お祖父ちゃんの家が違うところにあるのよ。お父さんとお母さんは神奈川だから、私にとっての実家はそこで、お祖父ちゃんの家は”田舎”ってかんじかな」
〇〇「へ~、それにしても結構遠いんだな」
美波「この後バスに乗り継いで1時間くらいかかるから覚悟してね」
〇〇「うへぇ、りょーかい」
美波が言った通り、それからいかにもローカル路線の無人駅で降り、田舎の路線バスに乗り継ぎようやく彼女の田舎にたどり着いた。
〇〇「っつーか、家でけーな」
目の前に広がる昔の武家屋敷のような荘厳な日本建築。
美波「もともとこの辺の大地主だったらしくて、ご先祖様は地元の名士みたいな感じだったって聞いたけど、私にはあまり関係ないからよくわからないわ。さあ、行きましょう」
仰々しい門をくぐり、屋敷の敷地に脚を踏み入れると遠くのほうから声が聞こえてきた。
叔母「まあまあ! 美波ちゃん~!」
美波「あ! 叔母さん、お久しぶりです!」
どうやら美波の知り合いらしく、仲良さげに軽くハグする感じで歓迎していた。
〇〇「美波、こちらは?」
美波「お母さんの妹で、私の叔母さんよ。今はお祖父ちゃんの家で一緒にすんでお世話しているの」
叔母「あなたが、〇〇さんね。はじめまして」
〇〇「初めまして喜多川〇〇と申します。この度は急にお邪魔して申し訳ございません」
叔母「いえいえ、こちらこそ無理言って来てもらっちゃってごめんなさいね。美波ちゃんにこんなかっこいい彼氏がいたなんてね~」
美波「もう、叔母さん! いいから!」
叔母「あらあら。 さぁさぁ! お祖父ちゃんも待ってるわ。行きましょう」
叔母さんに連れられて屋敷にあがり、荷物だけ置かせてもらってから早々に縁側に沿って奥へと進む。
とある和室の一室の前にたどりつくと、先頭を歩いていた叔母さんが歩みをとめた。
叔母「お祖父ちゃん、美波ちゃんが来ましたよ!」
その瞬間、障子の襖がガラッとあいたとおもったら、甚兵衛を身にまとった坊主頭の老人が勢いよく姿を現した。
祖父「美波~! 元気だったか!?」
美波「お祖父ちゃん! 久しぶり! お祖父ちゃんこそ元気だった~」
祖父と孫の感動の再会。
〇〇がそれを眺めていると、気づいた美波の祖父が〇〇に向き直った。
祖父「いや~、お見苦しいところを申し訳ない。すっかり自己紹介が遅れましたなぁ。わしが梅澤美波の祖父、梅澤吉蔵と申します!」
ハッハッハッ、と明るくどこか人を引き付ける笑顔で自己紹介をする美波の祖父。
言われてみれば美波に似ているような、似てないような…
〇〇「は、初めまして、美波さんとお付き合いさせていただいております、喜多川〇〇と申します。よろしくお願いいたします」
祖父「そうですか、そうですか! いや~、遠いところをよく来てくださった! 孫がお世話になって。今日はゆっくりしていってください!」
〇〇「は、はい! ありがとうございます」
祖父「それはそうと、〇〇くん…」
急に真剣な表情になる美波の祖父に、思わず背筋が伸びる〇〇。
何を言われるのかと、思わず身構える。
祖父「…もうチューはした?」
あぶねぇ
思わずズッコケそうになった。
美波「おい! そういうことを聞くんじゃない!(怒)」
なんか、美波とだいぶ違う性格のお祖父ちゃんだな。
ユーモラスというか、ジョークが好きというか。
そもそも90歳には見えないくらい元気なお祖父ちゃんだな。
なんて、〇〇が思いながら孫に叱られる祖父の光景を見ていた。
祖父「いやぁ、申し訳ない。孫が彼氏を連れてきたのが嬉しくてつい浮ついてしまった。とりあえず長旅でつかれたじゃろ。部屋を用意したから夕食までゆっくりしておくれ」
美波のお祖父ちゃんのお心遣いで、部屋で休ませてもらえることになり、美波と〇〇は叔母さんに案内されて客間への向かった。
しかし
美波「え…? 〇〇と同じ部屋?」
叔母「そりゃそうでしょ、恋人同士なんだから」
そう、叔母にも今回〇〇が恋人役のニセモノの関係ということは伝えていない。
そりゃ、普通に考えればこういう対応になるわけで。
美波「〇〇、あとで何とかするから、この場は合わせて」
〇〇「お、おう、わかった」
叔母に聞こえないようなコソコソ話でそう話を合わせようとする二人。
すると、叔母は布団の準備などを終えると二人のほうに向きなおった。
叔母「美波ちゃん、それに〇〇くんも、ちょっといいかしら…」
先ほどまでの明るい叔母の声がワントーン落ちた。
それに気づいた美波と〇〇は、なんだろう、と叔母のほうに向きなおる。
叔母「実は…お祖父ちゃんの容態が本当によくないのよ…」
美波「…え?」
叔母「今回、半ば強引に美波ちゃんに来てもらったのはそれがあったからなの」
美波「で、でも、あんなに元気で、いつもと変わりないじゃない!」
叔母「今は美波ちゃんが来てくれているから気丈にふるまっているけど、お医者さんの話だともう長くないって…」
美波「う……うそ…でしょ…?」
叔母「本当よ。もともとずっと体調を悪くしていたんだけど、最近急に悪化しちゃってね…」
〇〇「…長くないって、どれくらいなんですか…」
叔母「お医者さんのお話ではもう今日とも明日とも知れないって…」
美波「そ、そんな…」
美波の声が震えるのがわかった。
叔母「…だから、今日は来てくれて本当にありがとうね。美波ちゃんはお祖父ちゃん子だったから、いつもお祖父ちゃんも美波ちゃんを気にかけてたのよ。美波ちゃんに恋人ができたって聞いた時は、お祖父ちゃん本当に嬉しそうに喜んでたのよ」
美波「…っ!?」
美波の心がズキッと痛む。
叔母はそれだけいうとゆっくりと腰をあげて部屋を後にした。
〇〇「美波…」
美波「ごめん〇〇、ちょっと一人にしてくれるかな…」
〇〇「…わかった。なんかあったら呼んでな」
それから美波は一人自室に閉じこもってしまった。
なんとか食事の時には出てきて、いつもと変わらない感じで話をしていたけど、たぶん無理しているんだろうな、と〇〇はこれまでの付き合いから感じていた。
食事をすませ、自室へ戻ったあともお祖父さんの相手をしていた〇〇は一人で今に残っていた。
祖父「ほう、〇〇くんは美波と会社の同期なのか。さぞ優秀なんじゃろうの~」
〇〇「いえいえ、美波と比べたら全然ですよ」
他愛もない話を紡ぐ。
もう何時間話しただろう。
〇〇が知らない美波の話。祖父が知らない美波の話を〇〇が話して聞かせ合う。
祖父「安心したよ」
〇〇「え?」
不意に優しい声色になった美波の祖父。
ちょうどそのとき、部屋の外の廊下で〇〇を捜しに来た美波が通りかかった。
〇〇と祖父が話しているのを聞いて、息をひそめる。
祖父「わしは多分、美波の花嫁衣裳はみれんじゃろう…」
〇〇「え…?」
美波「(!?)」
祖父「美波は頭がいい。じゃが、それゆえにしっかりせねばと気負ってしまうところがある。本当は誰よりも優しい子じゃが、人に誤解されやすいところがあるからのぅ」
〇〇「…そうかもしれませんね」
祖父「でも、今日、〇〇くんと話せて、ちゃんと理解してくれる相手がおるようで安心したよ」
祖父のその言葉を聞いて、美波はいてもたってもいられなくなり、静かにその場を後にした。
きちんと話すべきだろうか。
〇〇とのこと。
〇〇が本当の彼氏じゃないって。
このままじゃ、騙したままになっちゃう。
でも、あんなに喜んでくれているのに、がっかりさせてしまうのではないか。
自室に戻る途中で悩んで立ち尽くしていると不意に自分を呼ぶ声がして我に返る。
〇〇「美波」
祖父との話を終えたのであろう〇〇が、戻ってきていた。
美波「〇〇…、ありがとうね、お祖父ちゃんの相手してくれて」
〇〇「ああ、聞いてたのか」
美波「ちょっとだけね」
二人で部屋にいったん戻り、部屋の前の縁側に並んで座る。
〇〇「…あんなに元気で、優しいお祖父さんがもうすぐ亡くなるかもしれないなんて、俺いまだにしんじられねぇや…」
美波「そうね……私も…」
鈴虫の音色だけが静かな夜に響く。
〇〇「美波は、どうしたい…?」
美波「…え?」
〇〇「お祖父さんに、なにかしてあげたいこととかってあるのかなって」
美波「おじいちゃんにしてあげたいこと…」
〇〇「うまく言えねーけど、後で後悔しないように、美波がお祖父さんになにか伝えたいこととか、してあげたいことがあれば、俺でできることならなんでも協力する。今だけは、美波の彼氏だからな」
美波「〇〇…///」
そういう、月の光に照らされる〇〇はいつにもましてかっこよく見えて、思わず顔が火照りそうになり、スッと考えているふりをしながら顔に手を当てて隠した。
美波「…急にそんなカッコいいこと言わないでよ」
〇〇「え? なんて? ごめん、聞こえなかった」
美波「何でもない! ちょっと考えてみるって言ったの!」
照れ隠しでそう言いはねる美波。
少しだけ元気になった美波をみて安心した〇〇はゆっくりと立ち上がる。
〇〇「じゃあ、俺は客間にでも移動してそっちで寝るよ」
歩き出そうとした〇〇の手を美波がつかんで止める。
美波「…どこいくの?」
〇〇「いや、客間に。さすがに一緒の部屋で寝るわけにはいかないっしょ?」
美波「いいじゃない。今だけは彼氏なんでしょ…? それに、今は一人でいたくない。お願い…一緒にいて」
〇〇「ッ!?(か、かわいい…)」
座ったままの美波が立っている〇〇に見上げるような体勢でつぶやくように儚げなオーラを纏いながら言うものだから、思わず胸が鳴る。
〇〇「わ、わかったよ」
お互いお風呂に入って布団にもぐりこむ。
さすがに布団は別々。
でも隙間なく並んで横になった。
美波「ねぇ、手つないで」
〇〇「あ、ああ…///」
美波「ふふふ、〇〇の手あたたかい…安心する/// おやすみ、〇〇」
翌日
美波「おじいちゃん、私にしてほしいことってある?」
祖父「なんじゃ藪から棒に。珍しいの」
美波「た、たまにはおじいちゃん孝行でもしようかなっておもっただけ///」
祖父「…ハハ、そうかそうか。そうじゃの~、それじゃあ…」
祖父に連れられて〇〇や叔母も一緒に近くの河原にやってきた。
そこで何をするでもなく、釣りをしたり、足だけ入ってつかの間の川遊びをしたりした。
美波「ねぇ、ただ遊んでるだけみたいなんだけど、こんなことでいいの?」
祖父「ええんじゃええんじゃ、久しぶりに美波ちゃんと遊べて、わしはすっごく楽しいぞ!」
それから滞在している間、まるで昔に戻ったかのように田舎を堪能するように遊びつくした。
美波「ほんとうに何日も連続でずっと一日中遊びつくすとは…」
大きなヒノキ風呂で遊び疲れた身体を癒しながら美波はあることを考えていた。
美波「(やっぱり、おじいちゃんにちゃんと伝えるべきだよね…)」
お風呂からでて、その足で〇〇のもとへ向かった。
美波「〇〇、ちょっと一緒におじいちゃんのところに行ってくれるかな」
美波の顔を見て、彼女が何をしたいのかすぐに分かった〇〇は、わかったよ、とだけ伝えて一緒に美波の祖父の寝室に向かった。
美波「おじいちゃん、まだ起きてる?」
祖父「おお、美波か? それに〇〇くんも。 どうした?」
美波「ちょっとだけ時間いい?」
祖父「もちろん、どうしたんだい?」
美波と〇〇は二人でゆっくりと美波の祖父の元まで近寄っていくと、静かに畳に正座して座った。
美波「おじいちゃん、ごめんなさい。私たち、嘘ついてました」
祖父「…」
美波「〇〇は私の彼氏じゃないの。私が頼んで恋人のふりをしてもらってました。本当にごめんなさい…」
〇〇「二人でお祖父さんをだましていたんです。本当に申し訳ございませんでした…」
美波と〇〇は二人並んで深々と頭を下げた。
そして先に頭を上げたのは美波だった。
美波「おじいちゃんは、私が誤解されやすいっていったよね。それはその通りだと思う。でもね、〇〇やほかにもたくさん友達がいるの。みんなこんな私でも受け入れてくれて、一緒にいると楽しいと思える大切な人たち」
美波はゆっくりと話を続ける。
それを美波の祖父は優しい表情で聞いていた。
美波「いまはまだ彼氏とかいないけど、いつかは私を理解してくれて、私も相手のことを大切に思える、そんな関係を気づけたらなって思う」
祖父「そうか…」
美波「私は言動が冷たく感じさせるし、可愛げがないってことも自覚している。でもね、いつかきっとちゃんとした相手をおじいちゃんにも自信をもって紹介できるようにがんばるから…」
美波の声が静かに震えだす。
美波「だからね…安心してね……そんなに心配しなくていいんだよ……」
美波はそういうと溢れんばかりの涙を瞳に溜めながら、精一杯おじいさんに微笑みかけた。
祖父「……………………そうか」
美波の言葉を聞いて、美波の祖父は静かに安心したようにゆっくりと頷いた。
祖父「……ありがとう……美波」
翌日
美波と〇〇が帰る日がやってきた。
美波「もう少しいられれば良かったんだけど…」
叔母「なにいってるの! 急だったのにこんなに引き留めちゃって、むしろありがとうね!」
〇〇「こちらこそ、ありがとうございました」
美波「じゃあね、おじいちゃん。また休み取れたらくるから」
祖父「おーおー、楽しみに待っとるよ! そのときは〇〇くんもまたおいで」
〇〇「ありがとうございます。ぜひ!」
挨拶を終えて、歩みだす美波と〇〇。
祖父「美波」
不意に、美波の祖父が呼び止めた。
祖父「まだまだしばらくは元気にしているから、ヒマになったらまた遊びにおいで」
美波「…うん、またね、おじいちゃん」
その1週間後
美波のお祖父さんは亡くなった。
あれだけ冗談で死ぬとか言っていたのに、最後に”とうぶんは元気だ”と言った途端に本当に亡くなるとは、最後まで大した嘘つきである。
葬式から帰ってきた美波が最寄りの駅に降り立つ
〇〇「美波」
そこには仕事終わりでスーツ姿の〇〇がたっていた。
さすがに仕事もあり葬儀に出ることができなかった〇〇だったが、美波を心配して駅まで向けに来ていたのだ。
美波「〇〇…」
〇〇はゆっくりと美波の元まで近寄っていく。
そして、目の前までやってくると優しく美波を抱きしめた。
美波「……〇〇… 私…ちゃんとおじいちゃんにつたえられたかな…? ありがとうって、伝わったかな…?」
〇〇「あぁ、もちろん…伝わったとおもうよ…」
美波「…〇〇、…うぅ…うわーーーーん!」
溜まっていたものが決壊したのだろう。
美波は人目もはばからず、〇〇の胸のなかでただただ泣くしかなかった。
そして、〇〇も美波の想いを少しでも支えるために、優しく包み込むのだった。
おわり
※この物語はフィクションです。
※実在する人物などとは一切関係ございません。
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