7月末で閉業しました
2011年の6月末に前の会社(鯖江の眼鏡メーカー)退職して、7月7日に開業届出して、それからいろいろあって、気がついたら9年も経ってて、諸々思うところあって一年くらい前から一旦区切りを付けたいなって思ってました。
(ゆうて個人事業なんで8月から屋号変えただけなんですけど)(ご存知の通り相変わらずやってることはなんも変わらず😇)
なんかいろいろやってきた気もするし、結局何もできなかったなっていうのが正直な感想です。
黒歴史を軽く振り返る
これ、2011年の12月に初めて出た展示会(装苑がやってたWHITE)。
とりあえず会社辞めてすぐに隣の市のパタンナーさん件OEM屋さんにデザイン画持って相談行って、でも生地とか副資材の買い方も織りネームの作り方も分からなくて、地元の商社と織りネーム屋さん紹介してもらって、そこの商社の社長に紹介された染工場さんに福井と浜松の生地屋さん紹介してもらって、工場まで直接行って生地売ってもらいました。(このやり方は今も変わってない)
で、何とか服の形にしてもらって展示会は出たものの、下げ札無い・ラインシート無い・ルックブック無い・原価率とか卸値とかよくわかってないって感じで、今思えば何をしに展示会に出たんやろってレベルでした。(什器は大阪まで行って全部オーダーで作ってもらったり、無知ゆえの力の入れ方のおかしさ🙄)
でも、ここに出て初めて服に携わる人達と知り合って、少しづつ洋服の世界の仕組みを学び始めました。(思い返すと我ながら無鉄砲すぎて引くな...🙄)
合同展示会WHITEってこの時が最後やったかな...(この時、ミスター・ハイファッションの編集長されてた田口淑子さんとお話しできてめっちゃテンション上がった)(オタク特有の早口でめっちゃ喋った)
ルックブックをコンスタントに作ってなかったのは反省。
自分でパターン引いた唯一の服かも。(立体でトワル組んで外して、シーチングに指示書いたのを型紙代わりに工場さんに渡すという雑さ😇)
いつかはレディスちゃんとやりたくて、相変わらずたまにサンプルだけ作ってる。(これはピエールカルダンのラソーラインの背中の構造をスカート部分左右に持ってきたやつ)(完全にマネキン向け)
こんなんも毛芯で作ってたな...(単純にパタンナーさんと縫製工場さんすごいな)(実際のとこ自分では縫い方あんま理解してない)
これはおそらく最大の黒歴史(謎にサンリオ公認)(がんばっていつか東映公認の仕事したい😇)
ランウェイ(らしきもの)も懲りずにちょこちょこ参加してたな...2012年くらいから2017年くらいまでは。最後に展示会したのも2017年の末くらい。
それから色々思うところあって、福井での仕事をメインで受けつつ、あれやこれやと試行錯誤してるうちに気がついたら3年も経ってました...🙄
というわけで、ほんとに右も左もわからないガチの素人(一応専門学校は出てるので服の作り方が多少わかる程度)が、毎年「今年こそはもう駄目かな」と思いながらも何故だか9年もこの仕事辞めずに続けてて、数えきれない失敗(と出費)と、その中で知り合った人たちから色々学ばせてもらってて(川上寄りは現場で、川下寄りはTwitter経由で知り合った人が多いです)、厄落としの意味も込めて今思いついた限りでまとめとこうかと思います。
反省点
(1)とにかく無知過ぎた
これは、デザインも商慣習もお金の使い方も含め全部です。
全くわからない状態でいきなり自己資金+銀行借入で始めて、アパレルメーカーの経験も無ければロールモデルだったりアドバイスくれる先輩もいない、製品のデザインというものがわかってなくて(生地と型紙と縫製以外は)専門学校の卒業コレクションみたいなレベル。営業の仕方も何にもわからなくて、とにかく傷だらけになりながら(資金を溶かしながら)少しづつ人並みに近づいてるような気がします(まだまだ進行形)。
(2)自分の頭で判断できてなかった
上の「無知過ぎた」というのが理由で最初の頃は特に展示会で知り合った人達にアドバイスをもらったことを鵜呑みにして、いろんな事を試したけど、結局全然駄目でした(プレスルームとかコンサル?とか)。
自分で判断できてない事にお金を使うって言う事は誰かのカモにされてるって事で、その受けたアドバイスは自分の為じゃなくて、アドバイスしてる側の利益の為、って8年くらい前の自分に教えてあげたい(けどやっぱり失敗しないとわからないと思う)。
(3)時代が違った
これに関しては自分の商品力の無さとか人脈とかブランディングの問題も大いにあるけど、同じくらいの時期に始めたデザイナーさんとか見てても思う事で、ブランドって合同展示会出て、買い付けてもらって、店頭に置いてもらう事で知名度が上がって、事業規模が少しづつ拡大するものだと思ってた。
けど、自分が始めた頃には既にそうじゃなくて(ごく稀にすごい人はそのやり方でできてるけど)、今の時代の多くの場合は知名度とか販売力って百貨店とかセレクトショップとかの小売店さんが担保するものじゃなくて、ブランド側が担保してて、それに小売店さんがついて来る時代に変わってた、って言うの今思えば当たり前やけど、気づくのに3年以上かかった気がする...
あ、そういえば合同展出てみてびっくりしたのがバイヤーさんが全然来ないこと。来場者全体の1割以下?良くて催事のお誘いって感じで、売り込みの為に出展してるのに、ひたすら売り込まれてた覚えしかないです。(できるブランドさんはちゃんとバイヤーさんを自力で呼んでました)
よかったこと
(1)とにかく動いた
これは今も変わらない、たぶん自分の唯一褒められるところで、とにかくいろんな所に行ってたくさんの人とコミュニケーションを取りました(コミュ障のくせに...)。
そのおかげで撚糸から縫製まで生産周りはある程度(一部海外も含めて)自分から直接お願いできる関係性を作れるようになりました。で、相変わらずスポットばっかりで申し訳ないなと思いつつみんな懲りずに相手してくれるのは、今後の期待値込みでだと思うので、そろそろ若干の焦りも感じ始めてます。
と、最初の無知すぎるが故の失敗で資金ショートして退場しててもおかしくないのに今まで何故か辞めなくて済んだのは、そうやって知り合った会社さんが少しづつ仕事の依頼をしてくれるようになったからです。そういうのなかったら6年前にもう辞めてたと思います。
あと、今はまだとにかくなんでも(アドバイスもらいながら)自分でやるようにしてます。経理周りとか補助金の書類書くとかAdobeとかウェブ周りとかとにかくなんでも。これは良し悪しで、生産性超悪いし専門家には絶対敵わないとかあるんですけど、単純にやってみたいっていうのと、いつかスケールする時が来るとしたら専門家に任せる事になると思うので、大枠だけでも理解した状態で判断したいっていうのがあるので、もうしばらくは相変わらずのペースでやってくと思います。
(2)いっぱい失敗した
最初の数年間の実務経験無さ過ぎ故の失敗というところも含めて、今も相変わらずいろんなことやって山ほど失敗してます。
失敗なんかしたくないし、9年以上相変わらず不安な毎日を過ごしてますけど、失敗を繰り返すことで少しづつ仕事のやり方が見えてきた気がしますし、たぶんこれからもずっと(資金的に)死なない程度に注意しながらこれからも失敗し続けると思います。(結構やばい時は数えきれないくらいあった...)
(3)SNS(特にTwitter)やってた
この仕事を辞めなかった理由として個人的に大きいのはTwitterかなと思ってます。
Twitterで知り合った人、会った事ないけどいつも勉強させてもらってる人の影響は特に大きくて、たぶんひとりでずっと合同展とか営業だけで動いてたらもうとっくに諦めてたと思うんですけど、TwitterのTLでいろんな人のいろんなやり方を見て、時には会って話して勉強させてもらって、まだまだ服でもやれることあるんじゃないかなっていう希望を持たせてもらってる気がします。(ただ、すごい人多過ぎてSNSに専門的な内容書くのはかなりビビります)
今後の課題としては、小規模なブランドの顧客導線が完全にSNSにシフトしてるのに、それに関してはほんとに何にもやってこなかったので反省しつつ、相変わらず皆さんから学ばせてもらいながら、自分のやり方を早く見つけないとなって思ってます。
というわけで、
いろんな人から勉強させてもらいつつ、これからもいっぱい失敗しつつ、この仕事を始めた2011年にやりたいと思ってた事に少しでも近づけるように、もうしばらくがんばってみようかなって思ってます。
僕の方からいろいろお声がけさせてもらうこともあると思うので、その際はぜひ相手してやってください。
そんなわけで今後ともどうぞご贔屓に🙇♂️🙏