【VRC】心の透明度と不安定な日常
VRChatは会いたい相手にいつでも会いに行ける素敵な世界ですよね。
その反面、この世界では物理的な制約が取り払われているがゆえに、現実世界では想像し得ない不安や問題が生じます。相手がどこにいるかが一目でわかり、いつでも会いに行けるという利便性は、関係性の距離感を曖昧にし、自由の中に新たな束縛を生むのです。
私たちの存在は本来的に間を必要としており、この仮想世界に没入すればするほど、他者との間にあるべき適切な距離感が失われます。
仮想世界の自由は、他者との間に適切な距離を保つことの重要性を逆説的に浮き彫りにし、関係性の在り方について深く考え直す必要性を私たちに問いかけているのです。
日常に垂れる暗色
いつも通り、何ら変わらない、それを繰り返す日常の中でも、日によって見方が変わることってありませんか?
例えばそう、仲の良いフレンドさんが橙ステータス!プラベ表記!入れ違いになっちゃった!とかです。よくよく考えてみればいつも通りだし、そんなことする人じゃないって分かってるけど気になる……経験ありますよね?
私たちの存在は不安定なものであり、いつも通りであれば軽く流すことのできる事象であっても、些細な要因1つで対応が困難となります。
私たちが見ているものはすべて、心というフィルターを通して世界を解釈し、意味づけされたものであり、実際の現実そのものではありません。このフィルターは、感情や精神状態、過去の経験、価値観によって色づけられ、私たちの知覚を方向づけます。そのため、何気ない日常も、精神状態次第で輝きに満ちたものにも、あるいは重く暗いものにも見えてしまうのです。
また、私たちの世界認識は完全に主観的なものであり、心がその認識の中心にあります。心が曇るとき、世界そのものも曇って見えるのは必然であり、逆に心が澄んでいるときには、世界はより鮮やかに、より輝いて感じられるのです。
不安定な存在
では、落ち着きを取り戻したとき、自分を不安に駆り立てていたものの正体が見えなくなり、なぜそのような考えに囚われていたのか理解できないという経験をしたことはありませんか?
私たちの意識は常に外部に向かって投げかけられており、自らの存在を外的状況によって定義しようとします。不安に囚われているとき、意識はその外的状況に過度に集中し、その結果、自分自身の自由や選択が曖昧になってしまいます。しかし、その状況から解放されると、外部の影響が弱まり、自己の存在が再び独立性を取り戻します。そして、不安の根拠が曖昧になり、虚構的だったと気づくのです。
最後に
私たちが見ているものはすべて心のフィルターを通して見ているものであり、そのフィルターがどのように機能するかによって、日常の風景が天国のようにも地獄のようにも変化します。人はそれぞれ持っている色が異なっていて、あなたにとっての私は黄色でも、誰かにとっての私は青色で、意識は常に流動的だから、明日の私はみんなにとっての暗色になるかもしれない。色づけられた心はとても素直に世界を彩色します。
私たちの心は外部の影響に敏感であり、たった一滴落ちた暗色次第で、事実でないことをまるで事実のように作り上げ、思い込み、それに囚われ、不安を膨らませる、そんな不安定な存在です。
それでも、再び独立性を取り戻したとき、私たちはそれを乗り越えることができる存在でもあります。
私たちはこの仮想空間で、どのように自己を形成し、環境との関係性を築くかという探求を求めています。それは、他者や環境とどのように交わりながらも、自己を保ち続けるかという永遠のテーマを浮き彫りにするものなのです。