【習作】ある週末の話

僕の仕事としては珍しい地方出張、客先対応を終えた頃には夕方になっていた。

週末、無理に今日中に帰る必要もなし、せっかくだからどこかに宿を取って小旅行気分でも味わおうか、とスマートフォンを取り出し、近場の適当な宿を検索してみる。


「…参ったな…いや無理なら帰るだけなんだけど…」

とぼやきながら検索を続ける。既に5軒目の宿が埋まっていることを確認し、軽い徒労を感じ始めたところで、検索結果の一つに目がいった。

試しにアクセスしてみるが、そこには宿名と住所だけが書かれており、それ以外には写真も含め一切の情報が載っていない。試しに地図アプリで住所を検索してみる。

「場所は…微妙な距離だけど歩いて行けることはいけるか」

終電まではまだ余裕もあるし、試しに行くだけ行ってみよう、と地図アプリの示す順路を辿り始めた。


「いらっしゃいませ、お泊まりですか?」

辿り着いた場所にあったのは民宿のような建物だった。

だが看板もなく、どうしたものかと逡巡していたら、建物から出てきた女性に声をかけられた。

「え、あー、いや…はい、そうです。予約なしで1人なんですけど、泊まれます?」

仕事柄、人と話す事自体は苦手ではないが、好きか嫌いかと言われたら好きな方ではない。

「そうですか…お部屋はご用意できますが、時間が時間ですのでお食事のご用意は難しいのですが…それでも宜しいですか?」

人当たりの良さそうな女性は、少し申し訳なさそうに伺ってくる。本音を言うとあまりに怪しい、のではあるが、仕事の気疲れと歩き疲れから「もうここでいいか」という思いが強く出た。

「はい、じゃあ一泊お願いします」


案内された部屋は、6畳程度の小綺麗な畳の間だった。

「お部屋の物は、お好きに使ってください。壊さなければ結構ですので。あと、お部屋を出入りするときはコレをお持ちください」

そう言って女性は、僕に紙切れを手渡して、そのまま部屋を出ていった。

「壊さなければ…って…そんな風に見えるのかね…それにこれ…お札?」

ぼやきながら、渡された紙切れを摘み上げて電灯に透かすように眺めてみる。白い半紙のような紙を人型に切り抜かれ、中心に文字とも模様とも取れるものが描かれている。

「それはね、ここにいるために必要なモノなんだよ?」

突然背後から声が聞こえてきた。先程の女性とは違う、もっと年若い、幼さを感じる声だ。

「!?」

突然の声に振り返ると、声の通り若い…というよりは幼い少女が微笑みながら立っていた。

「いらっしゃい、お兄さん。ゆっくりしていってね」

そう言って、少女は僕の隣に腰を下ろす。

「え? いや…君は…?」

僕は口ではそう言いながらも、何故かこの状況を理解し始めていた。ここは、「そういうこと」に使うところなのか。

「さっきの人が言ってたでしょ?『部屋の物は壊さなければ好きに使っていい』って。大丈夫だよ、お金をとったりとか、そう言うのじゃないから」

そう言い、少女は僕の耳元に口を近づけ、囁いた。

「わたしを、好きにしていいんだよ」

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翌朝、目が覚めると部屋にいたのは僕だけだった。

「え…夢…? いやなんつー…」

そんなことを呟きながら体を起こす、そして着替えようと立ち上がり、鏡に映る自分の姿を見て「それ」が夢ではない、と知った。

自分ではつけようのない小さな爪の痕や、首に残る指先ほどの痣、何より足の付け根に残る「ぬめり」が、昨晩したことを明確に語っていた。


「…すみません、もう一泊ってできますか?」

玄関先で、女性に声をかける。女性はその申し出を快く受けてくれた。しかも追加の宿泊代は不要だ、とも。

「今日も泊まるんだね、お兄さん」

部屋に戻ると、昨晩身体を交えた少女がニコニコと笑いながら座っていた。

「…うん…」

本当なら今日のうちに家に帰り、週明けの仕事の準備や細々としたことを済ませておく。いつもの僕ならそうする筈なのに、耐え難い「何か」が心を支配していた。

「いいよ。今日も好きにして。でも壊すのはダメだよ…?」

そう言うと、少女は僕にゆっくりと抱きついてくる。

そうか、壊さなければ何をしてもいいのか…

そんなことを考えながら、僕は少女の身体に指を這わせた。

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体が重い。意識もぼんやりとしている。

横になったまま、なんとかスマートフォンを持ち上げ、日付と時刻を見ると、日曜、朝の9時だった。

普通のホテルなら間もなくチェックアウトだ。しかも明日の仕事を考えると今日帰らなければ、なのに体が妙に重く、考えもまとまらない。


ただ、何故か確信があった。

もう一泊したら「戻れなくなる」


理由は分からない、でもそれだけははっきりと分かる。

「ふうん、分かるんだ、それ」

少女の穏やかな声が聞こえてくる。

「でも大丈夫だよ。お兄さんがここにいるなら、わたしがずっと一緒にいてあげる」

たった二晩、身体を交えた相手が、優しく声をかけてくる。

「お兄さん、色々疲れちゃったんでしょう?だからここに来れたんだよ。大丈夫だよ。ここにずっといればいいよ。何もかも、わたしが受け止めてあげるから」

優しい声、甘い匂い、まとまってくれない思考にさらにモヤがかかる。

ダメだ、これ以上はダメだ。

頭のどこかで声がする。

いいじゃん、この子の言うとおりなんだろ?

頭のどこかで声がする。

いいわけがない。仕事は?収入は?家族は?

頭のどこかで声がする。

「大丈夫だよ。わたしが全部蕩してあげる。ほら、ずっとわたしと一緒にいよう?」

耳から注ぎ込まれる優しい、甘い声が頭の中の声も考えも、全てを蕩し、包み込んでしまう


あぁ、暖かい、柔らかい、甘い

そうだ、僕はもうここにいればいいんだ

この子がぼくと、いっしょにいてくれるならそれでいい



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そんな夢を見た、というお話。

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