【エッセイ】「40(シジュー)な初老ですみません」#1
2023年2月12日。私は40歳になった。
このくらいの年齢になると「人生折り返し」とか
そういった言葉もチラホラ聞くようになるけれど、
私にはその感覚が、昔から、全くといいほどない。
何歳だって死ぬときは死ぬし、仮に今なにかがあったとしても、
夫や子供など、家族の心配とか、友人や仕事関係の人たちのこととか、
思い出すことはいろいろとあるにしても、多分「大きな後悔」は、ない。
でも、そうはいっても40歳になった途端に、やりたいことが色々と出てきた。その中のひとつが「自分の人生をカタチにしたい」というものだった。
決して、ドラマ「だが、情熱はある」に触発されたわけではないけれど、
この作品が、今の自分にすごく刺さったのは、間違いない。
共感してもらいたいなんておこがましいし、誰の人生もそれぞれバラエティに富んでいると思うけれど、私の人生を話すことで、読者の皆様に、癒しや笑いを提供できれば嬉しいです。
そんな、望月ヒカリのエッセイ。
第一話は、2023年の5月のエピソードからスタートします。
「40(シジュー)な初老ですみません」
#1 老いを認めたくない。
2023年5月。小学校6年生になった娘と、100メートル走の勝負をした。
私は小学生から中学3年生までの9年間、ずっと運動会でリレーの選手だったし、バレーボール部でガッツリ運動漬けの日々を送っていたし、スポーツテストでも1級をとっていたのもあって、それなりに運動はできる方だと思っていた。
半年前に勝負した時は、50m走だったけど勝てていたし、流すくらいの余裕があったのも、今回の自信に繋がっていた。
が、それはあっさりと砕けるのであった。
自信はすぐに「過去の栄光」へと名前を変えた。
スタートダッシュをしようにも、瞬発力がない。出し方がわからない。
イメージよりも鈍い風が頬を横切り、頭で思い描いているスピード感で
自分の身体が動いていないのもわかる。何よりも、太ももとお尻に、
感じたことのない揺らぎと振動があった。
波打つ贅肉たち。「きみたちは、あの頃、筋肉と呼ばれていた部位かい?
いつの間に、そんな変貌を遂げていたんだい?」
穏やかに話している場合ではない。すごい勢いで娘が私のことを追い抜いて行った。不思議と頭の中の私は、中学3年生にすり替わっているので、
「このくらいのスピードを出せば追い抜けるだろう」を身体に信号として送るのだけれど、身体はちゃんと40歳のままなので、まぁ伝達がうまくいっていない。ある種、現代でWindows98を展開しているようなものだった。
見事なまでの敗北。優越感でいっぱいの娘。
悔しさと言い訳でいっぱいになり、その日からトレーニングをするも、
成長期の伸びというのは、凄まじいものがあって、一向に娘には勝てない。
勝てる気配すらない。老いを認めるしかないのだろうか?
ちゃんと忘れた頃に身体の痛みは来るし、あの時、筋肉と呼んでいた贅肉たちも、未だその姿を変える様子もない。
そもそも、これからますます成長するであろう娘に対して、勝とうと思う気持ちが無謀なんだろうか?これはもしや、老害なんだろうか?
それでも、私は負けたくない。
もう少し涼しくなった、秋頃に、勝負を挑もうと思っている。
まだ「成長期vs更年期」には、なっていないと信じたい。
一連の流れを友人に話したら「100mを走れるだけすごいよ」と褒めてもらえて、その言葉をガソリンにして、7月現在も生きている節はある。
でも、もしかしたら「いつまでも体力のある、エネルギッシュな自分を忘れたくないという」エゴのかたまりが、のさばっているだけなのかもしれない。40を自覚している割に、ちいさな乖離はいくつも起きているんだろう。
なんにせよ、アタマもココロもカラダも、柔らかくしていたい。
老いていくのも、置いていかれるのも避けたいから。
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というようなエピソードトークを執筆していけたらいいなと思っています。
自身の話はもちろん、子供達とのこと、仕事のこと、日常のことなど。
私のことを、面白がってくれる方々と出会えたら、人生最高です!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
望月ヒカリ