【意見③】「夫婦同姓の強制は日本だけ」→「海外と日本を比べるな!」という選択的夫婦別姓反対派への反論
「海外と日本は違うのだから、比べるな!」
という言葉は、選択的夫婦別姓推進論者に常に向けられる批判の1つです。
確かに、海外と日本は違います。そしてこのあとには、
「日本の伝統を守っていくべき!安易に海外の制度を取り入れる必要はない!」
「戸籍という素晴らしい制度があるのは日本だけ!戸籍を守っていかなくてはならない!」
などという主張が続きます。
「海外は日本と違って、離婚率が非常に高い!家族の安定性を崩す気か!
!」
という主張もありがちです。離婚については、意見②で検討しました。
さて、この「海外と日本と比べるな!」という主張に対して、私たち選択的夫婦別姓推進派はどのように答えればよいのでしょうか?
1. 文脈をとらえよう
私たちが、海外の事例を持ち出す文脈は、例えばこんなときです。
「夫婦別姓を許すと、夫婦関係、親子関係に悪影響を及ぼし、家族の安定性が崩壊する!」
→ 「夫婦別姓の国はたくさんありますが、家族が崩壊している国はありますか?」
(→ 「海外の例を持ち出すな!」)
日本と海外を比べて、「日本は遅れている!海外の制度を取り入れなくてはいけない!」と主張しているのではありません。
「強制的夫婦同姓の社会」と「選択的夫婦別姓の社会」の比較をし、「家族の安定性」に関する主張の妥当性を検討しているのです。日本では、選択的夫婦別姓が実現したことがありませんので、日本国内で「同姓にしたら」「別姓にしたら」を比較することができません。
そのため、「別姓夫婦が一定程度いる社会」を想定するためには、日本以外の国を持ち出すしかありません。つまり、「海外で社会問題が生じていない」というのは、日本と海外を比較しているのではなく、制度を変えても不都合が起こらないという論拠を上げているのです。
2. 日本は国際社会の一員であり、国連の条約に批准している
「もはや夫婦別姓の選択肢が全く認められていないのは日本だけ!」
(→「海外の例を持ち出すな!」)
これは、国際社会での日本の立ち位置を念頭においたうえでの主張です。
まず、最新のデータで、2021年に世界経済フォーラムが出した「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は156ヵ国中120位で、先進国の中でも最低レベルであり、これは毎年の傾向で、ほぼ横ばいの推移をしています。
※ 赤線が調査対象国全体における日本の順位を示しています。
順位が低迷する理由の1つに、選択的夫婦別姓が認められておらず、実に96%ほどの夫婦が女性が改姓するコストを負担しているという現実が挙げられるでしょう。
また、国連の「女性差別撤廃委員会」からも、再三に渡る勧告を受けています。
日本は、「女性差別撤廃条約」に、1985(昭和60)年に批准しました。
そして、「女性差別撤廃委員会」から、2003、2009、2016年の三度に渡って、個別に、日本国が直接名指しで、勧告を受けています。
内容は、「夫婦同姓を定める民法750条を改正せよ!」というものです。民法750条が、女性差別の原因の1つになっていることを指摘しているのです。
女性差別撤廃条約が国連で採択されたのは1979年でした。その前後から、以前は夫婦別姓が認められていなかった国も、次々と法改正を行って夫婦別姓を組み入れるようにしてきたのです。しかし、日本だけは、条約に批准してから35年以上、3度の個別勧告を受けながらも、法改正の議論すら進めてこなかったのです。
そういった国際的な動向・流れを指して、「夫婦同姓の強制は日本だけ」と主張しているのです。
これは単に、いま現在、「日本は同姓」、「アメリカは別姓」、などという文化比較を行っているのではなく、国連をリーダーシップとみなす国際社会の流れの中で、日本だけ流れに反している、という経時的な側面を批判しているのです。
国際社会の流れそのものがおかしい、と思うなら、その条約に批准すること自体を反対しなければいけません。その大元を批判せず、「選択的夫婦別姓」のみを批判するのは、木を見て森を見ず、だといえるでしょう。
3. 生活の場が、日本国内に留まらなくなってきている
1. 文化や 2. 法律のような、抽象的な議論は抜きにしても、選択的夫婦別姓推進派の夫婦は、普段の生活、という非常に具体的な場面で、
「夫婦同姓かつ旧姓を通称として使用しているのは日本だけ」
という現実に直面しています。そして、その困難に出会ったときに、
「選択的夫婦別姓でないのは日本だけ!」
と叫んでいるのです。
海外に行くと、ふとしたときに、旧姓使用をめぐってトラブルに巻き込まれます。
まずは、①渡航のために飛行機に乗ろうとするとき、②入国審査を通るとき、③滞在先のホテルにチェックインするとき、④海外支社に出勤しようとするとき、⑤免許を取得しようとするとき、⑥不動産の契約を結ぼうとするとき、…、挙げていけばキリがありません。
実体験を、先日のnoteに書きました。
今や、生活の場がグローバルになっている日本人の数は、どんどん増えているでしょう。
支社が海外にある企業や外資系企業などに就職する場合、国際結婚をする場合、留学をする場合、など、生活空間に否応なしに海外の方が入ってくる。これは、抗いがたい時代の流れです。
当事者になる方は、これからどんどん増えていくでしょう。
こうした現状の、極めて現実的で実際的な不便さを訴えるために、
「同姓の強制は日本だけ!」「外国人に理解されずにトラブルが起こっている!!」
と主張しているのです。これに対して、
「日本と海外を比較するな!」
という意見が、いかに的が外れているか分かっていただけるでしょうか。
日本と海外を比べてはいないのです。婚姻制度が想定外に異なっているため、理解されずに大変、説明のコストがものすごい、という不便さの原因に言及しているのです。
「日本と海外を一緒にするな!」
という意見とそれへの反論は、ともすればイデオロギー的な対立になってしまいます。愛国主義の右翼 VS リベラルな左翼、というのがステレオタイプな夫婦別姓論争へのレッテルになっています。
そういった思想面に注目しすぎるのではなく、言葉尻だけを捉えるのではなく、発言の背景は何か、文脈が何か、を丁寧に説明し、理解し、議論をすべきだと思います。
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