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感覚の不可解

 目的地にはやく着くのが苦手だ。

 正確に言うと「早く」着くのは別にいい。人を待つのはたいして苦ではないからだ。苦手なのは「速く」着くこと。高速で到着するのが嫌だ。

 11時に都心の駅で待ち合わせがあるとする。

 余裕を持って10時50分くらいには目的の駅に着いておきたい。到着時間から電車を調べると、最寄から途中で急行に乗り替えれば30分で着く。10時20分の電車に乗ればいい。家から最寄までが歩いて10分だとしたら、10時10分前に出れば間に合う。

 急行に乗らなかった場合は、乗車時間が45分になる。待ち合わせに間に合う電車の発車時刻は10時5分だ。すると、家を出るのは少なくとも9時55分よりも前でなければならない。

 こういうとき私は早くに家を出て鈍行に乗ることを選ぶ。その分、家で身支度を整える時間、食事をとる時間、起きる時間がすべて前倒しになってしまうが、それでも鈍行の方がいい。

 理由は自分でもよくわからない。途中で一度電車から降りて、急行に乗り換えるのが面倒というのはある。しかし、それよりも目的地にあっという間についてしまうことを避けている感覚が強い。

 たぶん、人と会うことに対して身構える時間がほしいのではないか。

 人は、接している人の数だけその人の中に人がいると思っている。人人言いすぎて何やらよくわからなくなったが、つまり、人は誰かに会っている時に「その誰かに会う時用の自分」を意識せずとも作っているということだ。

 「その誰かに会う時用の自分」は家でだらっとぼんやりしている時の自分とは違うから、目的地に着くまでに作り上げないといけない。そして、その時間が短いと、未完成のままで会うことになってしまうのだ。それを怖れている。

 だから私は、わざわざのろのろ進む電車に乗る。場合によっては最寄に早く着き過ぎて、2、3本、電車を見送ることさえある。それでも間に合う時間に家を出ている。

 急行に乗って待ち合わせ時刻ぴったりに着くタイプの合理的な人からすれば、時間の無駄以外の何物でもない。しかし、そういう人だって「誰かに会う時用の自分」は作っているはずだ。きっとそういう人はそのメイキングが得意で素早く、私は下手なのだろう。

 そこまで考えて、合点のいったことがある。

 最も苦手なことの一つに、電話がある。かけてきた相手にかかわらず苦手としている。緊急でない限りは、なるべく文字がいい。

 顔が見えないとか沈黙が作りにくいとか返答に悩む隙がないとか、色々と理由はあるが、思えばあれは抜き打ちで瞬時に「誰かに会う時用の自分」を作り上げないといけないのだ。そんな技術はもちろん持ち合わせていない。なるほど、苦手なわけだ。