「祐介・字慰」尾崎世界観
音楽に社会性は必要か。サーキットフェスの主催者が、「会ったこともない名の知れないバンドがリプ送ってきたところで出すわけないじゃん」と酔った勢いで長文ツイートをしていた。いや、直前にまだサーキットの出演枠余ってるんでおすすめのバンドありますかってツイートしてたのお前やんって思いながら、バイト帰りに揺られる電車で、そのおじさんの酒臭い息を荒げた長文ツイートを全部読んだ。アイコンをタップしてプロフに飛ぶと、いかにも義理人情にうるさそうな顔をしたおじさんの写真付きでインタビュー記事が固定されていた。「音楽業界目指す人は是非読んでね」と添えられた一言を含めて、一貫性のあるキモさはもはや清々しい。いや、キモすぎて胸焼けがする。バンド好きは、というと主語がデカすぎて怒られるけど、少なくとも私は、世渡り上手で商売上手の人間が作った音楽になんか興味がない。お金もなく、地位も名声もなく、社会生活もロクに送れず、音楽にしがみつくことでしか生きる手段を失くした最果ての人間の、社会性を一切取っ払った生々しい音楽が聴きたい。そう、尾崎世界観のような、どうしようもない人間の、どうしようもなく愛くるしい音楽が。
音楽に社会性は必要ない。ましてやバンドマンに社会性など求めていない。求めているのは、アルコールに溺れていても躁鬱でボロボロになっていてもバイトをぶっ飛ばしていても物販の金盗まれてもマネージャーが飛んでもそれでも音楽にしがみついている狂気じみた執着心を持ったバンドマンとその生きる手段としてのライブだ。フロントマンの肉声と柵越しに震える手で受け取るあの日のセトリと叫び出したくなるようなSEとあの歓声とあの熱狂になら、あの刹那になら、バイト代を全額注ぎ込んだって構わない。自称業界人(笑)のサーキットフェス主催者には一握の砂でも投げつけてやればいい。
きちんとスマホを文字通り"携帯"できる人間とできない人間。礼節を弁えた人間とそうでない人間。ファンに手を出さない潔白なバンドマンとそうでないバンドマン。風俗に行かない男と行く男。いつだって後者の作る音楽の方が良いと信じて疑わない。稚拙だと言われても噛みついてやりたいロックの哲学。憧れのバンドマンが自称業界人の髭面の汚いおじさんに頭を下げる姿なんか絶対に見たくない。そんなものセンスがない。自称業界人のおじさんには忘れられない夜とかないんだろうな。夜にしがみついたことも、このままじゃ忘れられなさそうな感情を朝で溶かしたことも。おじさんが義理人情がないと一蹴したバンドマンは体が痛くならない添い寝の仕方もこの夜にどこまでも続く空白の埋め方も知ってるんだよ。
作中に出てくるポンさんという人物像とこの自称業界人おじさんが重なる。小太りで最もらしい言葉を並べては若者に説教を垂れる描写はいかにもという感じがした。でも、なぜか、そういうやつの周りにはその信者のような人間がいて、やつを教祖のようにして取り囲んでいる。まるで宗教だ。目の前にいる受け入れ難い人間とその信者に共感できない疎外感。私は祐介の味方だし、祐介もまた私の味方であるような気がした。私は祐介と共に理不尽に怒り、自分の不甲斐なさにイラつき、ピンサロ嬢に思いを馳せ、説教を垂れ腐るおじさんと対峙した。祐介が、私の好きな音楽を肯定してくれた気がした。というより、祐介こそがその源泉であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?