スルー力、スルーされない力
世のため人のためワガママに生きようと思ったら、スルー力とスルーされない力がとても大事だなと最近感じています。
スルー力は、何でもかんでも受け流すとかではないです。
メンタルに来る一言だったり、結構きっつい現実がジワジワと目の前に近づいて来た時に、その事実を空から舞い落ちてくるカラスの羽根を空中で拾うかの如くキャッチして、道路の端の邪魔にならないところにそっと置いておく力とでも言いましょうか。時には高速で落ちてくる隕石のときもありますけど、そんなときはキャッチのスピードも大事でしてね。
自分にとっては一見ゴミかもしれないものも、そう言い放った相手だったり、世間の様相だったりは決して無視してはいけないと思っています。
あとから痛い目にあったり、あとから恩返しをしてくれる鶴の羽根であることが判明したり。
スルー力を発揮してしばらく経ってからじゃないと分からないことってあると思うんです。
一方でスルーされない力は、そのまんまです。
この人をスルーしてしまったら、この人を無下に扱ってしまったら、なんかわからんけどよくないぞ。と。
そう思わせる力です。
スルーされない力は、加減をミスると他人にとってゴミとして認識されてしまうこともあるので、ちょっと難しいです。営業力に似てますけど、ちょっと違う。応援してもらう力?ですかね。
他人の「自分性」に乗っかる形で、自分勝手なことを言わせてもらうことこそが、世のため人のためワガママに生きることだと思ってます。
とても簡単に言うと、大小問わず誰かの欲望に対して、「私が△△すればあなたの欲望って叶うよね。だから私が△△をするためにあなたも一緒にこれやってよね。無理しなくていいから、せめて
応援だけはしててほしいんだ。」という具合。
こんな雑に伝えることはないですが、だいたい中身はこんな感じです。
これで目の前の相手は私を金輪際スルーできなくなってしまうわけです。
こんな感じで、スルー力とスルーされない力とで、これからも荒波のなかを泳いで行きたいなと思います。