耳ざわりの良い言葉を発することのできる能力

私とほぼほぼやりたいことが同じ!みたいな人を発見し、たくさん話しました。いやあ2/3くらいは同じなの。それでね、なんなら10年間頑張ってやってきたみたいなのです。

でも、毎年持ち出しがたくさんあって、お金が回らず。そんなお話を本日聞いてきました。

それでこれからは、食品製造にも手を出し、直売もし・・。農業一本じゃ無理なんだ。それでは生活できないんだ。って。

言ってくるんですね。あぁ、この人と何かどこかで協力関係を作れないかなって何度もお話し中に思ったのですけど、一点だけどうしてもいただけないことがあって。

それは私にとって「耳ざわりが良くない言葉がたくさん入ってきた」という事実。そして、言われた言葉の中身も事実。

・理念をちゃんとしたほうがいい(してるけどタイミング失って言えなかった)
・利益を生もうと思ったらあなたの活動は難しい
・どうせ中抜きになってしまうんだろう

全て事実である。

「ずっと人が足りないんだ。働きに来てくれた人も、なんだ週3回来てくれると思ったら週に1回2時間だけになっちゃってさ。」

って続ける彼に黙ってうなずく私。

内容がどうとか、言ってることがどうとか、まったく思わなくて、本当にただただ事実であるとは思ったので、特に反論をすることもありませんでした。

しかしだ。
どんなに正しいことを述べていても、正面の人が一秒でもマイナスに感じてしまえば、それは負の感情を生む言葉になるのであって、

どんなに素っ頓狂なことを言っていても、目の前で人を笑わせることが出来たら、喜んでもらえていたら、価値があると判断してもらえていたら、それはその空間では確実にプラスの働きをすると私は思う。

耳ざわりの良い・悪いは、話の内容が正しいかどうか、いいか悪いかとは全く別に、発言を受けた当人にとって心地よいか、不愉快に感じるか、というだけのことである。

話の内容に対する目の前の人の感情は、その場の空気とか、その人との人間関係とか、バックグランドとか、可視化しにくい、とても変則的なものによってぐわんぐわん左右される。

相手の怒りポイントに知らず知らずに触れることを「地雷を踏む」なんて言ったりするが、その地雷はいつどこに設置されているか分からない。

私は残念ながら地雷を踏みまくってきたが、最近は往々にしてほぼほぼ無害地雷のことが多い。もしくは擦り傷程度で済む。

ここ数年は常日頃、耳ざわりをとても大切にしているつもりだ。事実をそのまま発言することに一切負い目はないけれど、伝え方や、その発言の意図についてはしっかりと伝わるように繊細な注意を払っている。それからその後のフォローを可能な限り行う。だから爆発しても大きな実害がないことがほとんどなのである。

もちろん言う必要のないことは言わないでいいんだけれども、地雷を踏みまくって「は?」という反応を引き出してきたことがごまんとある。これは私がおそらく鈍感なのである。この経験から、「は?」と言う傾向にある人の地雷ポイントの共通点をだいたい見つけてきたし、言われた後の事後処理もたくさんしてきた。そして今はほぼほぼ地雷を踏まなくなった。でも実際は「こういうときはこうしたほうがいいよね」という経験値を溜めてきただけであって、相手がどう思っているか嫌がっていないか、そんなことは実際分からない。だからニュータイプに出会うと今でもだいたい撃沈する。

こんなことネットに書くんじゃないよなんてお説教を食らうかもしれませんけれども、私も自分でもっと気を付けないといけないなと思ったし、読んでる人も日常の言動すこーしだけ気を付けるだけで、わりと生きやすくなるんじゃないかなと思って書かせてもらいました。。

言われたことはたしかすぎるので、これからなんとかせねばと思っています。ほんとその通りですー!!!と頷きながら聞いた。

私自身、7,8年前まではそんなこと気にせずジャイアン的に生きてきました。人が離れていくのは離れていった人がこちら側についてきてないから悪いんだ!みたいな。

だけど、
誰かにとっての「耳ざわり」を意識して生きてみると、意外といろんな方と仲良くなれていろんな協力しあうことができて今はとても幸せです。

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