それ人のせいにしてないか?
自分の今置かれている状況は、紛れもなく自分の過去の選択の結果だと思っている。いい意味でも悪い意味でも。
なのに、
面倒くさいからと
しんどいからと
大変だからと
求める結果に必要な物事を避けてきた自分を棚に上げ、挙句の果てに「僕が、私が、今こうなってるのはお前のせいだ」って、責任転嫁をする人がいる。
困ったもんだなと思います。これは論外で、今日の本題はここから(笑)
もう一個のパターンは、「あなただからできるんでしょ」みたいなことを言っちゃう人。
これ、私もずっと思っていたんです。
人脈があるからとか、フォロワーが多いからとか、コミュ力が高いからとか。そんな理由で、「あなただからできるんでしょ」って思っていました。
だけどねー、多分違いますのよこれが。
と、最近言えるようになったのは、この気持ちを封印して、「こいつにできるなら私にもできる」と思うようにしたから。
そして、「こいつ」が今まで何をしてきたのか、どういう経路を辿って今に至るのか、遡ってみて、真似すればいいと思って、やってみたのです。知り合いが多いとかよく言われますけど、知り合いを増やす努力をしてきました。
そしたら今、数年前の「こいつ」がやってたことをできてたりする。なんだ、できるじゃんって。
分かりやすい話をしましょう。
そのへんのメンズが今から大谷翔平を目指すのは無理かもしれないけど、幼少期から同じ過ごし方をして同じように歳を重ねていたら、二刀流メジャーリーガーはもう一人いたかもしれない。そう思うのです。(元々の身体能力によるという話は一旦置いといて)
「◯◯だからできる」はよろしくない。目の前の人がどんな結果を持っていようと、それはその人がやってきたことの積み重ねであるという認識をまずはしないといけない。
それができないと、「私には、僕には、それはできない」そういう話になってしまうのである。
一見謙遜のようにも見えるこの言葉は、あるときから私にとって、言い訳であり、逃げであり、諦めであるとさえ、感じるようになった。
こんなことを人に言われると、「じゃああなたはそのために何をしたの?」「できることは全てやったの?」と問いたくなることがある。問わないけどさ。(笑)
…とはいえ、これはさすがに真似できない!みたいな不変的な事実もあったりするのが難しいところです。
生まれてきたときの身体的な性別によって身体能力のポテンシャルは大きく異なるし、今からどんな努力をしても私は徳川家の跡継ぎにはなれないのである。それから現実の話だと、農家の家に生まれていたらもっと環境が揃っていたかもしれないけど、農家の娘に生まれ直すことはできない。
こういった点では「あなただからできるんでしょ」は成り立つと思うが、私は極力そういったことを言わないようにしている。俗に言うタラレバを禁句にしている。
いつも他の方法で、欲しい結果を求めることはできないか?と考えている。
考えて、やってみて、結果が出るまで続けたら、意外とできてしまうと思えるようきなってきました。
「あなただからできるんでしょ」が出てきそうになったら、どうか一度飲み込んでいただきたい。その気持ちはしっかり受け入れて、自分は言い訳、逃げに走ってないか、諦めようとしてないか、そういうふうに考えてみて欲しい。
そのうえでです。「やっぱやーめた」となるのはいいと思います。「やらない」という選択をしただけであり、その結果が未来をつくっていくというだけです。
私も優先順位つけてやってないこと、たーくさんあるので。
全てが中途半端と言われる私ですが、今は全て先輩たちのまねっこの途中であり、今できないことは周りの方々にお任せしているのであります。
「うまくいかなくて諦めてる」なんて言われたら、心のなかで言うことは「時間軸が違うんじゃボケ」です。
おしまい。