見出し画像

自分の人生を生きるための自分に対するワガママはあった方がよいのか。

あいつ、ワガママだよな。
あまり良い意味で使われない言葉ではないだろうか。
この場合のワガママは、相手が受け取る感情によるもので、自分が相手に与える行為などがワガママと受け取られる場合に使われるように思われる。

ワガママだと協調性に欠けるとも思われる。
もっと強く表現すると、自分を押し殺して協調性を重要視されがちな気がする。
人と同じことで安心する。
人と違うと違和感を覚える。

人に迷惑をかけるワガママは、無くした方が勿論良いと思う。

人に対するワガママは少ない方が良いのかもしれない。
だが、自分に対するワガママはどうだろう。
例えば、自分で何かを選択するとき、自分が選択したことに対して、あいつが悪い、世の中が悪い、時代が悪い。
大抵は自分の選択を何かのせいにして文句を言っている。

文句を言い続けても、選択を変えるという自分に対するワガママができない。…に迷惑がかかるから。

自分の人生においては、自分に対するワガママが必要なときはあると思う。
自分の人生は決して他人は生きてはくれない。
自分の人生を決して他人が責任を取ってくれることもない。
自分の人生の時間を他人が返してくれることもない。
生まれてから死ぬまでの時間は限られていて進むだけの一方方向なのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?