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モノクロ写真をカラー化

モノクロ写真をAIによってカラー化することが出来る!

そんなサイトがあるそうなので、専徳ねっと(専徳寺HP)でも以前紹介したモノクロ写真をカラー化してみることにしました。

シンガポールのサイト、「ColouriseSG」で簡単にカラー化できます。

まずは、https://colourise.sg/にアクセスします。

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赤いボタン、「Try it yourself」をクリック。

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「私はロボットではありません」にチェックを入れて、カラー化したい写真を選びます。

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あっという間にカラー化された写真の出来上がり。

蚊やハエのいない街づくり(長浜衛生協力会)

そこで、蚊やハエのいない街づくりの記録写真(モノクロ)をカラー化して紹介します。

蚊やハエのいない街づくりとは、

第二次世界大戦後、呉市の環境衛生は、他の戦災都市と同様に最悪の状態におかれていました。
そのため、伝染病の発生をおそれた進駐軍は、ハエや蚊などの伝染病の媒介物を徹底的に駆除するように、呉市に要請してきました。
呉市は他の地区の模範となるよう、昭和28年1月、長浜・小坪地区を衛生モデル地区に指定し、蚊やハエの一匹もいない衛生的理想地区を作ろうとしました。
さっそく専徳寺仏教婦人会を主体とする長浜衛生協力会が設置され、定期的な清掃、サナギの掻きとり、便所の完備、ゴミ箱の設置、野壺のおおい等が実施されました。
全町民が協力して『蚊やハエのいない街』の建設に取り組んで、長浜・小坪地区は全国的に有名になり、28年夏から秋にかけて、視察者は2000名にも達したそうです。
同会は、広島県や厚生大臣などからも表彰を受けています。
        (呉市政一〇〇周年記念版 『呉の歴史』より)

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↑当時の長浜です。長浜小学校・長浜中学校(現在広南学園)の木造校舎を見ることができます。(カラー化とまではいきませんでした。)

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↑壊れたトイレ。こうした不衛生な場所をまずは点検したのでしょう。

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↑当時のトイレ。

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↑下水口を徹底的に掘り返し、清潔にしていきました。

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↑下水口に溜まった泥を、大人も子どももみんなで手分けして上げていきます。

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↑便器もきれいに洗います。

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↑下水の泥上げなどの作業が、毎日遅くまで続きます。

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↑昔の電車道の下水口掃除。(現在の長浜桟橋バス停あたり)

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↑下水口だけでなく、道路もきれいにしていきます。

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↑広島県公衆衛生課係員の視察。蛇の目傘をさしてます。

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↑汲み取り口を調査して、研究しているところです。

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↑衛生会役員の集合です。

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↑広島県公衆衛生課係員の視察。

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↑入江神社の清掃。

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↑豚小屋に蝿のれん。

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↑浜辺の清掃。(奥に西脇神社が見えます。)

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↑道路の清掃。

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↑ネズミ駆除のための毒エサ作り。

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↑子どもたちも手伝って、さなぎ取り。

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↑↓呉市長視察。

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↑厚生大臣代理 須川衛生環境課長視察。

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↑課長との座談会。

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↑↓専徳寺本堂での厚生大臣代理 須川衛生課長。

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↑↓中山政務次官代理 橋本技官視察。

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↑民生部長視察。

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↑呉市市会議員視察。(入江神社前)

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↑街はきれいになりました。でも、そのためにたくさんの命も失われました。
蝿や蚊、ネズミも命を持っていました。
表彰式の前に、その命を弔います。

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↑呉市長より感謝状。

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↑市長来会。(門徒式章を着けています。)

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↑広島県知事賞受賞。

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↑記念品の時計を長浜中学校(現 広南中学校)に寄贈。

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↑呉市長賞、受賞記念。

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↑呉市長感謝状受賞。

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↑焼却炉、火入れ式。(神式です。)

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↑市長、焼却炉火入れ。

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↑↓ステージ博士と一緒に。

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↑きれいになった街を子どもたちに託します。


完全なカラー化とまではいきませんでしたが、これまで見ていたモノクロ写真が蘇りました。

みんなで協力しあう。
大切なことは、今も昔も変わらずに。



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