小杉湯で愛されるミルク風呂。「ジャケ買いしてほしい」の言葉に込められたクリエイターたちの思い
「ジャケ買い」を経験したことがある人はいるだろうか。
商品情報を全く知らないにも関わらずパッケージデザインに惹かれて思わず買ってしまうことを指す言葉だ。キャッチコピー、色彩、写真、手触り感など「なんとなく買ってしまった」を誘発する要因はたくさんある。
高円寺の銭湯・小杉湯の名物「ミルク風呂」の入浴剤に触れながら「ぜひジャケ買いしてほしい」と語るのはパッケージデザインを担当した菅谷真央さんと印刷会社・藤原印刷の専務取締役 藤原隆充さん、営業担当 松房慶太さん。
ミルク風呂は小杉湯で初代から引き継がれ、お客さんにも長らく愛されているお風呂だ。優しいミルクの甘い香りとトロっとした柔らかな肌触りで、一日の辛かったことはお湯に溶かして、嬉しかったことは温めて、明日からの元気をくれる。
書籍をイメージした箱にミルクを想起させる雫がぷっくりと印刷されたミルク風呂の入浴剤。実は印刷段階で予定していた印刷会社に断られて世に出せるかも分からない状態だったという。
そんな苦難を乗り越えて「ジャケ買い」と胸を張って言えるほどの商品パッケージに込められた思いから印刷までの道のりを聞きました。
パッケージのコンセプトはミルク風呂を読み解く「書籍」
入浴剤のパッケージは一般的に効果効能をうたうものが多い。「疲れが取れてリラックスできそう」という印象を一瞬で消費者に与えるべく、分かりやすさや目を引く派手色が採用される。
一方、ミルク風呂のデザインは情報量が削ぎ落とされて非常にシンプルなため一見なんの商品なのか判断しづらい。デザインの背景を紐解いていくとそこにはミルク風呂への思いが溢れていた。
ーミルク風呂のどのような魅力を伝えたくてこのデザインにしたのでしょうか?
「ミルク風呂は小杉湯の初代から続くお風呂です。歴史は長く、それに対するプライドもあり、小杉湯の一番の理解者だと思っています。効果効能よりも小杉湯と共にあり続けるミルク風呂というストーリーをデザインに落とし込みたいと考え、物語を伝えるツールである書籍という形で表現しました」(デザイナー:菅谷真央)
銭湯ぐらし デザイナー 菅谷真央
ー書籍感を出すためにどのような工夫をされているのでしょうか?
工夫したポイントは3つあります。
1点目は触り心地。書籍ってツルツルしていないですよね。本独特の手触り感があると思うのですがそれに近づけられるように紙質を選定しました。
2点目は読み物として楽しんでもらうこと。「読ませるパッケージ」を意識して側面で小杉湯の紹介、裏面ではミルク風呂に浸かった時にどんな気持ちになって欲しいかを伝えています。表紙を見て側面、裏面と物語を読み進めるかのようにミルク風呂のストーリーを楽しんでもらいたいです。
3点目は絵。書籍っぽさを出すためにあえて「イラストではなく挿絵を描いてほしい」とお願いして描いてもらいました。(デザイナー:菅谷真央)
書籍を元にした箱にミルクを意識した薄いグレーの雫が少し盛り上がって印刷されているミルク風呂のパッケージ。雫のぷっくり感は、特定の範囲に樹脂を厚盛りしてUV(紫外線)で照射することで一瞬で樹脂インクを硬化・定借させ、独特の質感と光沢をもたらす印刷技術を活用して表現している。
箱の上に描かれたふっくらとした雫に触れてみると確かにぷっくり感と液体に触れたときのようなツルツル感が伝わる。
一般の入浴剤とは全く異なる柔らかい触り心地と温かい雰囲気を持つミルク風呂。実は印刷段階で大きな壁にぶつかったという。
「うちではできません」予定していた印刷会社からのお断りを経てたどり着いた藤原印刷
実は印刷の段階で想定した印刷会社さんから受託を断られるというアクシデントが発生。
ミルク風呂のストーリーを伝えるために「書籍」というコンセプトを採用して、手触り感にもこだわって箱も作った。それまでは良かったんですが、実際に雫のデザインを印刷する工程でトラブルが発生してしまって…
「箱に雫の印刷はできると思います。ただ箱の紙質上、加工と雫の明確な描写が難しいですね」と予定していた印刷会社さんから断られてしまったんです(笑)(デザイナー:菅谷真央)
書籍に近づけるために選んだ箱紙の性質上、印刷時にインクを吸ってしまう可能性が高く理想のデザインを実現することが難しいという理由らしい。
迫ってくる納期への不安を抱えるなかで藁をも掴む気持ちで相談したのが以前から小杉湯とも関係があった藤原印刷だった。
藤原印刷は65年前の1955年に女性タイピストが創業された印刷会社。心を込めて丁寧に作り手のことを考えながら印刷するという「心刷」を理念を掲げ、専務取締役の藤原隆充さんは「作り手がイメージしているものを、多少無理してでも作る」と公言している。
そうは言ってもミルク風呂は他社での印刷を断られており、お先真っ暗な状態。印刷業界で名高い藤原印刷だとしても、ミルク風呂の理想の印刷を実現することに不安はなかったのだろうか。
ー正直、菅谷さんから相談された時に「この印刷は難しいかもしれない」という思いはありましたか?
なかったですね。藤原印刷は「いいモノを作りたい」という考えを強く持っています。いいモノを作るために営業は印刷の知識を、現場は高い技術力を身につける、そのための努力を惜しまない文化があるため「きっと実現できるだろう」という確信がありました。(藤原印刷 営業:松房慶太)
藤原印刷 松房慶太さん
印刷会社は営業と現場で軋轢が生まれやすく、営業は作り手の思いを実現するために「できます!」と前のめりな姿勢を示す一方、現場は「また営業が無茶苦茶な案件取ってきたよ」と不満を募らせることも少なくない。営業と現場が分かれている受託企業の宿命とも言えるが、藤原印刷では営業と現場が常に作り手の方を向いていることがわかる。
印刷は水と空気以外に印刷できますし、製本加工は手作業であれば基本的になんでも作れるので「どう作るか」が重要になってきます。
今回のミルク風呂の相談は確信半分、チャレンジ半分という感じでした。
雫にぷっくり感を持たせることは過去にうちでも経験したことがあったパターンだったため、実現できるだろうなと思っていました。
ただ、雫の色をどう着地させるかは悩みましたね。ミルク感をどう表現すればいいか、納期も迫っていたので何度も検証する時間もなく、できる範囲のテスト検証のみ実施してぶっつけ本番みたいな感じでした(笑)(藤原印刷 専務取締役:藤原隆充)
藤原印刷 藤原隆充さん(左)
ーミルク感のある雫の色はどのような試行錯誤を経て実現したのでしょうか?
当初、雫の部分は白インクを入れてミルク感を出す予定でした。しかし、印刷する箱自体の色が真っ白ではなくグレーがかった白だったので、その白に何色を乗せればミルク感が出せるのかが悩みどころでした。最初に黄色を乗せてみましたが、ミルク感をうまく再現できずボツになりました。
本来、印刷は色見本帳を作成し、理想の色を作り手に選んでもらったり、彩度を調整したり色校正を踏むのですが納期の関係上、2回目の校正をする余裕もありませんでした。
過去の経験と仮説に基づき「ライトグレーを乗せる」ということになり、そこから濃淡を調整しながらテスト検証を経て印刷しました。(藤原印刷 専務取締役:藤原隆充)
結果として無事に納期内に印刷が完了。菅谷さんも理想の印刷でしたと大満足だったという。
藤原印刷さんの仕事は丁寧かつ綺麗で質が高いのはもちろん、こちらが作りたいモノに熱意を持ってぶつかってきてくれことがすごく嬉しかったです。
受託企業は受け身な体制の企業も多いと思うのですが、単なる作業で終わらせず、商品に寄り添ってくれました。理想の印刷を実現するための深い提案をくれたり、納得がいくまで何度も相談に乗ってくれるなど常に並走してくれました。(デザイナー:菅谷真央)
「まあいっか」心を解きほぐすミルク風呂
ー最後に作り手としてどんな風にミルク風呂を楽しんで欲しいと思いますか?
ミルク風呂は小杉湯のこだわりがぎゅっと詰まったお風呂です。小杉湯を利用するようなモチベーションで利用してほしいなと思います。
小杉湯には「ケの日のハレ」つまり日常の中の非日常を体験しに来るお客さんが多いです。ミルク風呂はちょっとした幸せや何か嫌なことがあっても「まあいっか」と思える心の余裕を運んできてくれる、そんなお風呂です。些細な日常の中でぜひ使ってみてください(デザイナー:菅谷真央)
ミルク風呂を購入する理由はたくさんあると思います。「パッケージが素敵だから買う」「小杉湯のファンだから買う」「それ以外の理由で買う」購入のきっかけはさまざまです。
本当のプロダクトは入浴剤にも関わらず、ここまでパッケージに力を入れているのは「商品に自信がある」「一人でも多くの人に手にとってほしい」という心持ちの表れだと思います。作り手がミルク風呂を通して人々に幸せな気持ちを届けたいという思いがひしひしと伝わってきます。パッケージに込められた思い、小杉湯の愛を感じてもらえたら嬉しいです。(藤原印刷 専務取締役:藤原隆充)
商品の顔であるパッケージを見てぜひ「ジャケ買い」してほしいです。
ミルク風呂は小杉湯のこだわりが詰まったお風呂で長年続いてきたお風呂です。そこに藤原印刷の65年の知識と経験、こだわりが重なっています。ミルク風呂のこだわり×デザインのこだわり×印刷のこだわりを感じてぜひ手にとってほしいです。(藤原印刷 営業:松房慶太)
「小杉湯のミルク風呂」と書かれたざらっとした四角い箱。撫でるとぷくっと存在をアピールするミルク色の雫は光に当てるとお風呂の水面のようにふんわりと光る。
ミルク風呂のストーリーとその物語を余すことなく落とし込んだパッケージは小杉湯を大切に思う人たちの手で作られました。小杉湯を知ってくれたあなたの元にミルク風呂を届けられる日を楽しみにしています。
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