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ハタチの旅 バルト三国


喫茶店のマスターが「え?どこにあるかわからへん」と言った旅先です。マスターはGoogleマップを片手に話を聞いていました。場所がわからぬ場合は、まずマップを開くことをおすすめします。
マスターに「嫌な聞き方やけど、いちばんガッカリした国はどこ?」と聞かれて、「どこに行っても桃源郷」なタイプの私が捻り出して「2回目のエストニア」と答えました。

バルト三国は南北に連なるエストニア、ラトビア、リトアニアの三国を指し、地理的にはフィンランドの真南にエストニアが位置します。旧ソ連から最初に独立を宣言した国々で、ロシアの西に位置します。

行ったのは大学3回生の秋。
小さい頃から旧ソ連から真っ先に独立した国々に強い憧れがあって…というわけではなく、当時家の近くにあった喫茶店に置いてあった本を見て「行きたいな〜」と思って、二十歳の記念に行きました。

旅のコラージュ バルト3国の雑貨と暮らし

あまり耳馴染みのない国に行くということで、両親を安心させるために、JTB旅物語のパックツアーに参加することにしました。いちばん安いのが10月初旬だったので、後期の履修登録&初回授業とばっちり被ってましたが、そこはまあ気にせず予約しました。
一人部屋料金として追加の8万円が必要でしたが、3回の秋という就活にそこそこ大事な時期に、ただぱらっと本を見て興味を持った国に行くと言って誘っても、まあ誰も行かんやろうと思い、一人で参加です。

集合場所の関空に着いてまず思ったのは、いや年齢層たかっ!
リタイア後のご夫婦や60代と80代の親子、子育て終わったご婦人同士などなど約30名。そのうち一人で参加していたのは私を含めて4人です。添乗員は玉田さん(仮)という50代後半と思しきおじさんでした。

関空でユーロに両替。当時はまだ3カ国とも独自の通貨だったので、現地でユーロから両替です。

フィンランド航空で9時間くらいでヘルシンキ、そこから30分のプロペラ機でエストニアの首都タリンに夜中に到着。
一泊目のホテルはバスルームがすべて目の覚めるような黄緑でした。そして猛烈な乾燥で初日から喉をやられました。
二日目から観光が始まります。本で見た街並みを見ることができて感動してたら、玉田さんが「ま、よくあるヨーロッパの街並みですね」って言ってました。

「よくあるヨーロッパの街並み」

昼食はよくわからない豆のスープでしたが、そこそこ美味。その後、雑貨屋さんで手作りの指人形などを買ったりしてたら一瞬で30分ほどの自由時間が終わりました。

そう、そんな感じで、すべてが終わっていくのがパック旅行です。思い出が非常に断片的なので、記憶をランキング形式で振り返ります。

⑩言語圏の変化
エストニアからラトビアに入って驚いたのが、テレビから聞こえる言葉の響きがガラッと変わったことだった。言語学を専攻していたので、フィンランド語とエストニア語はなぜかアジアの日本語に似た響きであることは知っていた。ラトビアのホテルでテレビをつけたときに、ヨーロッパ言語の響きがして、お〜ほんまに違うわ!となった。CVC言語ではなくCV言語なのです。それだけです。それ以上の考察はありません。

⑨ 窓税
ラトビアの首都リガの古い建物にやたらと小さい窓が多いのは窓の大きさで税金が決まっていたからだそう。京都に細長い家(うなぎの寝床)が多かったのは間口税が原因とされていると大学の地図学の授業で聞いていたので、世界のどこでも人の生活は税金に左右されるんやな、と思った。

窓が多い

⑧ ビリニュスのホテルでうなされる
旅行の最終日に飛行機事故の夢を見て、人生で初めての金縛りにあった。きつかった。

⑦ 野生のキノコ
マジでそのへんの道端に売ってる。買って食べてみたかった。

森の香り

⑥ 中身だけ食べたツェペリナイ
宇宙船という意味のジャガイモ料理。見た目は皿の上にジャガイモ2個って感じ。
ジャガイモを粉状にして、それを練った生地の中に肉餡が入っていて、サワークリームを使ったソースでいただく。茹でたジャガイモ2個の方が美味しいかもしれない。

⑤ 玉田さん
小柄でシュッとしてて髪の毛がふさふさの添乗員。独り身たちは基本的に玉田さんと同じテーブルでご飯を食べる。そのため色々話をした。
「50代になって添乗に行ってる同期は誰もいない。だいたい出世してハゲの小太りになってるか、辞めたか。」
「イギリス留学で学んだことでいちばん役に立ってるのは、これ」と言って見せてくれたのは、紅茶のティーバッグをきれいに湯切りする方法だった。

④ 陽気な酔っ払い
リトアニアの首都ビリニュスの目抜き通りで写真を撮っていたら、撮ってくれと構えられた。お金も要求されず、ただの陽気な酔っ払いだった。

「撮ってくれや〜」


③ 日本酒持ち込むオヤジ二人組
ツアーに参加していたなかで異色の2人組と言えば、おじさん2人という組み合わせだと思う。カウナスのスーパーで、なにか塩辛いものを買いたいなと物色していたので聞いたところ、おじさんたちのスーツケースにはペットボトルに入れた日本酒が1リットルずつ入っていて、晩酌のつまみを探しているとのことだった。
旅中に写真をたくさん撮ってくれて、帰ってきてから現像した写真を送ってきてくれた。年賀状のやりとりが続いているが、コロナでどこにも行けなくてもそれなりに楽しそうに暮らしているようで何より。

② 道端で木彫りの仮面購入
旅先で買った初めての仮面。地球の歩き方に載っていたお店の仮面は高くて手が出ないので諦めかけたが、陽気な酔っ払いから500mくらい進んだところで、天地を逆にした段ボール箱をテーブルにして、その上に仮面がずらっと並んでいた。ええ顔のやつを選んだ。1500円くらいだったと思う。部屋に飾っている。

歯抜け親父


① ひとりもの同士仲良くなる
京都出身のひとりもののおばさんと仲良くなった。意気投合して、何度も親子と間違えられた。どうやら独身で、どうやら手に職を持っていて、時間ができたら海外に出る。ニベアのリンクルケアクリームが好きで、国によって薬事法が違うから、日本より効果の高いものを買える!と意気込んでドラッグストアに行ってはニベアを探した。30個を超えると輸入扱いになるからと、合計して25個くらい買っていた。いろんな話をしたが、最後まで何の仕事をしているかは教えてくれなかった。謎多き人物である。

このおばさんが、手帳に挟んでいたのが、日本の住所と名前が書かれたネームシールで、聞けば、日本の友人に旅先から手紙を出すためだそう。住所はすべて日本語で書いて、最後にJAPANと書くと届くことを知った。この手軽さから、私は旅先から友人や家族に手紙を送るようになった。

おばさんはその後、世界各地から私に手紙を送ってくれた。足首に持病があり、それが悪化したら旅に出られないと言っていた。あるときを境に、パッタリと手紙が途絶えてしまったが、お元気だったらいいなあ。コロナが収まったら、珍しいところからおばさんに手紙を送ろうと思います。それまでどうかお元気で。

いただいたお手紙



さて、冒頭の質問「ガッカリした旅先」に対して「2回目のエストニア」と答えたのはなぜでしょうか?このハタチの旅から5年あまりで起きたことです。
エストニアの通貨がユーロになったのです。
フィンランド人たちが格安の高速船に乗って大挙するようになりました。日用品を安く買えるからです。ついでに観光して帰るので、タリンの綺麗な旧市街が観光地化されてしまいました。ペラい民族衣装を着た客引きがいるお店で食べた豆のスープはすごく残念な味がしました。

黒門市場が落ち着きを取り戻したように、タリンもきっといつか日常を取り戻すと信じています。もしかしたらもう取り戻しているかもね。

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