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競技場においてある相手が我々に爪で裂傷を負わせ
「競技場においてある相手が我々に爪で裂傷を負わせ、頭でひどくぶつかってきた。しかし我々は抗議を申込みもしなければ気を悪くもしないし、その後も相手が我々にたいして悪事をくわだてているなどと疑ったりしない。もっとも我々は彼にたいして警戒はしているが、それは敵としてではなく、また彼にたいして疑惑をいだいているわけでもなく、好意を持ちつつ彼を避けるのである。我々は人生のほかの部面においても同じように行動すべきである。我々とともに競技をしているともいうべき人たちにたいして、多くのことを大目に見てあげようではないか。なぜなら私のいったように、人を疑ったり憎んだりせずに避けることは可能なのだから。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第六巻、二〇、pp.100-101、神谷美恵子)