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批判的合理主義の原理

帰納の非妥当性の原理と、経験主義の原理とが衝突し、そこに帰納の論理的問題があると、かつて考えられたが、反合理主義的な結論を引き出すのは誤りである。批判的合理主義の原理が、解答を与える。(カール・ポパー(1902-1994))


 「ヒュームがあきらかにしようとしたことを思い出してみよう(私見では、論理に関するかぎり、うまくいっていたわけではないと思うが)。
 (i) ヒュームは、自然のうちにはだれもが実際面で信頼している無数の(明白な)規則性と、理論上きわめて重要で、科学者たちによっても受け容れられている多数の普遍的な自然法則が存在することを指摘した。
 (ii) ヒュームはまた、どんな帰納推理――単称の観察可能な事例(および、それらの反復的生起)から規則性とか法則のようなものへのどんな水路――も《妥当ではありえない》こと、つまり、そのような推理はなんであれ、近似的、部分的にさえ、妥当ではありえないことを示そうとした。」(中略)「
 (iii) ヒュームが指摘したのは、《経験》によって提供されたもの以外には、普遍法則への信念を正当化する妥当な理由は存在しえないということであった。
 一方における(i)と、他方における(ii)と(iii)との衝突が、ヒュームの問題、つまり、《帰納の論理的問題》を構成する。
 論点(ii)と(iii)をもう少し鋭く、みじかく言い表わすと、つぎのように述べることができよう。
 (ii) 単称の観察言明から普遍的な自然法則へいたる妥当な推論、したがって、科学理論へいたる妥当な推論はありえない。
 これは、《帰納の非妥当性の原理》である。
 (iii) 科学理論の採否は、観察と実験の結果に、したがって単称の観察言明に依拠すべきである。
 これは、《経験主義の原理》である。」(中略)「
 わたくしもまた、(ii)と(iii)を受け容れるが、しかしそこからいかなる反合理主義的な結論も引き出すつもりはない。それどころか、(ii)と(iii)の両立可能性ばかりでなく、(ii)と(iii)が以下の(iv)と整合的であると主張するつもりである。
 (iv) 科学理論の採否は((iii)によって要求されるような観察と実験の結果に結びついた)批判的推論に依拠すべきである。
 これは、《批判的合理主義の原理》である。」(中略)「
 以上述べてきたことによって、帰納についてのヒュームの論理的問題に対する完璧な解答が提供できる。この解答にとってのカギとなるのは、われわれの理論は、もっとも重要なものでさえ、またじっさいに真である理論でさえ、いつでも当て推量、推測にとどまるという点を認めることである。じじつ、それらが真であるとしても、その事実を、経験からも、そのほかのなんらかの源泉からも知ることはできないのである。
 わたくしの解答の主要な点は以下のようになる。
 (i) 理論は実践的な科学と理論科学にとって至高の重要性をもつという見解を受け容れること。
 (ii) 帰納に対するヒュームの反論を受け容れること。すなわち、この反論によって、理論を信じる実証的理由が得られるかもしれないというどんな希望も打ち砕かれているということである。(しかし、ヒュームの議論は、理論は反駁の試みによってテストされると主張する場合には、いかなる困難もひき起こさないことに注意すべきである。)
 (iii) 経験主義の原理を受け容れること。すなわち、科学の理論は、実験的テストや観察的テストの結果に照らして(一時的に、暫定的に過ぎないが)拒否されたり、受け容れられたりするということである。
 (iv) 批判的合理主義を受け容れること。すなわち、科学理論は、合理的批判の結果に照らして他の既知の理論よりもよりよい、あるいはより悪い理論として(一時的に、暫定的に過ぎないが)拒否されたり、受け容れられたりするということである。」
(カール・ポパー(1902-1994),『実在論と科学の目的』,第1部 批判的アプローチ,第1章 帰納,2 批判的アプローチ、帰納問題の解決,VI,(上),pp.43-46,岩波書店(2002),小河原誠,蔭山泰之,篠崎研二,(訳))


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