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映画「プリズン・サークル」を観て。

先日、地元で自主上映会があり、以前から気になっていた「プリズン・サークル」を観ることが出来ました。以下ネタバレも有りますので気をつけてください。


TCとは受刑者同士の対話をベースにした更生プログラム。

「話すこと」「罪を自分の言葉と心で振り返ること」を通して、自分の罪を再認識していく、、、というよりも自分の心を再確認していく、という方が正しいのかもしれない。

犯罪を起こす前の自分を確認する。

犯罪に踏み切った自分を確認する。

犯罪を犯している時の自分を確認する。

犯罪を犯してしまった後の自分を確認する。

今の自分を確認する。

犯罪ではなく通常の行為に置き換えたとしても、日常生活の中でこれだけ振り返ることはまず無いだろう。

元よりこれだけ考えていれば「犯罪」というリスクに踏み切ることにはなっていなかったはずだ。しかし「過去を考える」のは、自分に衣食住があり明日の命が有る時に生まれる「余裕」がなければ出来ない。

彼らは犯罪を犯す前に考えること、感じることを無意識で止めていたのかもしれない。

考えて気づいてしまったら、真実に少しでも触れてしまったら、今の自分が無くなってしまうことを、子どもながらの本能と直感で感じ取っていたのだと思う。そして誰も彼らを気にかける事なく、彼らは大人になっていった。

受刑者がみんな幼少期に判を押したかのような生い立ちなのだ。イジメ、ネグレクト、極貧。誰も自分の存在を認めてくれない。永山則夫もそうだったように。

冬の夜中に裸足で逃げることを知らない人達は、この映画を見てどう思ったのだろう?卑屈に揶揄するのではなく、暴力を知らない人の視点がなければ暴力を振るう側は自分の目を開いていくことが出来ない。

入所当時(強盗致傷・建造物侵入・服役8年)のS君は被害者に対して「悪いと思う気持ちが出てこない」と話していた。

S君

TCで「俺は幸せになってもいいという気持ちがある」という考えを議題にした時に

(A)「人を殺しかけたけど幸せになってもいい」
(B)「自分の幸せよりも、ちゃんと反省して被害者に償う人生を送るべきだ」

と意見が分かれた。

普通に考えたら(B)が正しい。
しかし実は(A)は(B)の「一般的な規範通りのことをやっていたら償いになるだろう」という安易さを見抜いていて「その惰性の中できっと再犯を起こすかもしれない」という怖れも感じ取っている。

しかし(A)もまた「どうせ同じ(犯罪に手を染めるなら)ラクな方に行った方が良い」という安直さをもっている。でもS君はこの「幸せになってもいい」という気持ちを、もっと掘り起こして「自分が何に幸せを感じていたのか」を研磨していきたいのだろうな、と感じた。

答えは出ない。

この(A)も(B)も、S君がワークの中で一人で感じ考え話していたこと。

「悪いことを悪いと思えないことが悪い、反省の気持ちに気付かせることが更生への道」では無い。
そのもう一つ前の「犯罪を起こした自分の心理に気付くことが更生への第一歩」であり、スタート地点なのだ。

そして、更生とはいうものの、更生しなければならなかったのは犯罪を犯した彼(彼女)だけだったのか?という疑問と怒りを自分で消化できるようにならなければいけない。これが一番苦しいかもしれない。法とは何なのか、なぜあの人は塀の外にいるのか。

また「対話にエネルギーを使う」ということは、この刑務所内という、ある意味守られた空間だからこそ出来る取り組みだ。シャバに出てからは誰も守ってくれない。TCプログラム民間職員有志の方達が、その後も連絡を取りあっているようだったけど、個人的な負担がかなり大きいのではと気になった。

更に40万人の受刑者に対して、このTCを実施できるのは一年間にたった40人だけなのだ。そしてTCを受けた人ですら再犯率は50%。ここまでしても半分は再び犯罪に手を染めてしまう。

犯罪者を罰するのではなく、元より犯罪者を作らない方向にもっと進めないのだろうか。

生まれてきた赤ちゃんが、大人になるまで倫理的・道理的に傷ついて人間としての痛みを知り受け、ゆっくりと大人になっていく。その時まで周囲の大人が大人たるものを見せていく。そんな夢みたいな生活、、、そもそもこれが夢だなんて、私達が生きている今は一体何なんだ。命がどうしてこんなに生きづらいのか。

観ている最中、ああこれは泣きそうだイカンと思えば思うほどに左側の目からだけ涙がとめどなく出てくるのだった。

各地で随時上映されているようです。
全ての大人に観て欲しい映画です。

この日はもう一本「三島由紀夫VS東大全共闘」も観た。奇しくもこの討論は永山則夫が逮捕された1969年に行われたもの。

片や与えられたいが為に荒れ狂い、片や与えられたものの中で荒れ狂い、何もかもが最初から一つの輪なのだ。

怒りや悲しみの無い世界で人間は生きていけるのだろうか。それらで自分という人間が作られてきた私には、根底が無くなってしまうようで逆に恐ろしくも感じる。母親になれなかったことが私の善きことなのだろうか、と今でも時々思う。

だからといって私は一人ではないし、自分が誰の力にもなれないという事も、けして無いと思う。

購入してみました。
果たして。

つちのと

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